自国民まで欺いたアメリカの騙し討ち

              皇室とともに

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 おいら、知らんかった

 自国民まで欺いたアメリカの騙し討ち

 現行の日本国憲法は、とうてい憲法と呼ぶことができない。憲法の形を装った、
不平等条約なのだ。
 昭和十六年(1941)に、戻ろう。日米交渉は四月に、野村吉三郎駐米大使がワシントン市内のハル国務長官の私邸をたずねて、会談することによって始まった。
 野村大使はまた四月十六日に、ハル長官と会談した。五月中だけをとっても、ハル長官と二日、七日、十一日、十三日、十四日、十六日、二十日、二十一日、二十八日に会談を重ねたが、もちろん、見るべき進展がなかった。
 ルーズベルト大統領が側近に、「日本をここしばらく、あやしてゆこう」と語ったこと
                                         ベイビー
が、記録されている。ルーズベルトは赤児をあやすという意味である、「ベイビー」という言葉を使った。
 七月十八日に、陸海両長官が日本本土爆撃作戦「JB-355」計画書に、連署したうえで、大統領の手もとに提出された。大統領はこの作戦案を、その日のうちに承認した。
 日本の機動部隊が真珠湾を攻撃する、五ヶ月前のことだった。
 今日、ルーズベルト大統領が日本本土奇襲爆撃作戦を承認して、署名した文書が公開されている。十月一日までに、蒋介石政権に百五十機のB17爆撃機と、三百五十機の戦闘機を供与して、中国の航空基地から発進して、東京、横浜の産業地域、と、神戸、京都、大阪、に奇襲爆撃を加えることになっていた。
 これは、アメリカ国民を欺いて、日本を騙し討ちにするものだった。
 七月に、日本は仏印(フランス領インドシナ、現在のベトナムラオスカンボジア)のフランス当局の承認を取りつけたうえで、北部仏印に進駐した。
 アメリカ、イギリスは、蒋介石政権に大量の兵器を、仏印を通って供給していた。日本は前年八月に、フランス政府の同意をえて、援蒋ルートを遮断するために、南部仏印に進駐していた。
 今日、多くの専門家によって、日本が七月二十八日に北部仏印進駐を強行したことが、日米戦争の引き金を引いたと、信じている。
 だが、ルーズベルト大統領は、その十日前に、日本本土爆撃作戦を承認していた。
 ところが、この日本本土奇襲爆撃作戦は、ヨーロッパ戦線が急迫して、大型爆撃機をイギリスに急いで回さなければならなくなったために、中国への供与が遅れることになり、実施されなかった。
 今でも、ほとんどのアメリカ国民が、真珠湾攻撃が卑劣な騙し討ちだったと信じているが、これこそ、騙し討ちとなったはずだった。

写真の本の中に書かれている文である。
私は知らなかった。
生徒に歴史の事実として教えなければならない。
馬鹿教員は、検定教科書に書かれていないことは教えないと言い張る。
 馬鹿丸出し
  教員免許を自主返納せいって話しよ

 大学のご立派な教授よ
 教えていなかったら、恥を知れ
 教授は、馬鹿が多いそうだ。
 おれも、ロクな奴いないと思う
 腑抜けばかりの役立たず違ったら言ってこい
 教員に、大学で学んできたって聞くと、学んでないという。恥知れ教授
                                    

日本のこころを大切にする党 代表 中山恭子議員
ルーズベルトが日本に戦争を仕掛けた