「一国一文明」の日本

                  誕生日の木と木ことば
               2・18 ケヤキ 崇高
 
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     宿命の日本文明史で、中西 輝政京都大学教授は書いています。
 
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 そのことに触れる前に「文明」あるいは「文明史」とは何か、ということについて、
少し述べますと、文明とは人間の生き方であり、それは結局「歴史を動かすもの」と言っていいかと思います。それでは何が文明というものの核心かというと唯物論のように経済や階級、生産手段というものが歴史を動かすという人もいるし、科学や技術だろうという人もいます。しかしやはり「人間の心」「精神」というものが歴史を動かすというのが、私がこれまでの勉強で到達した結論なんです。つまり、文明とは、その国の歴史の中で数百年から千年という長いスパンで滔々(とうとう)と流れている「精神」である、と言ってもよいでしょう。我々が普通考える歴史がせいぜい百年単位で、出来事を時系列的に細かく見て因果関係を説明していくものであるのに対して、文明史はもっと長く、もっと深く歴史を考えようとします。だから、より明瞭に未来も見えてくるのです。「文明史とは未来をつかみ取るための歴史である」とドイツの文明史家、シュペングラーが言ったように、文明史は自分たちがどういう方向に進むべきかを指し示すものにもなるのです。歴史への「生きた視線」が大切なのです。シュペングラーはこうも言いました、「死んだ目で過去をみるのではなく、生きた目で過去を見る瞬間に文明史が始まる」と。
 さて、そこで日本という国を考えるときには、こうした文明史的な歴史の見方、つまり文明史観がとりわけ大事になってきます。なぜかといえば、日本は一つの国で一つの文明を成しているという点で、世界でも独特な例だからです。これは、従来から欧米の幾多の歴史家、文明史家の共通した見方です。すなわち、西洋キリスト教文明、東方キリスト教(スラブ正教)文明、イスラム文明、ヒンズー文明、中華文明等と並ぶ世界の主要な文明の一つとして日本文明がある。これも、欧米の文明史家に共通した見方です。
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 日本の文明は他のアジアとは全く異質な文明なのです。そのことは例えば幕末、明治期に日本に滞在したイギリス人たちの日本観察記を読めばよくわかります。彼らは「日本人はなぜにこうもほかのアジア人と違うのか」ということを繰り返し問うています。
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彼らは日本人の「タフさ」の根源として「武士道」と「ミカド信仰」と「クラフツマンシップ」(ものづくりの技能)」の三つを上げ、これに海洋国家の国民としての「信用」を重んじる気風を加えた四つが、他のアジア諸国にはないものだと結論づけています。
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 とこらが、日本の場合、「一国一文明」ですから国が滅びれば文明も滅びる。国がおかしくなれば文明もおかしくなるのです。つまり、国家を軽んじると、我々は文明、即ち、一人一人の人間としての生き方、我々のアイデンティティまで失われるのです。だから日本人にとって、「国家のただならぬ重要性」というのを理解しなければならず、少なくとも日本に関しては、国家というものが、西洋人やイスラム圏の人たちにとっての国家とはまるで違う重みがあるのです。
 「国家なくして文明なし」。これが我々の宿命だということを、日本人にはっきりと自覚してほしいと思います。
 
 
                       ご葬儀を雅楽の音で 格式高く
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