「神国日本」は生きている

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 中西 輝政 京都大学教授
 
 なぜならば一国一文明の日本において天皇とはその国家と文明の双方に関わる「結節」として決定的なご存在だからです。現行の憲法ですら、天皇を「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と定めている。この象徴という言葉にさえ、実は「ただならぬ重み」があると考えなければならない。ここでいう国民とはただ社会的に横ならびの国民というだけではなく、日本の文化伝統、つまり日本文明の担い手としての国民の意味ですから、まさにこの条文は、天皇は国家の代表であると同時に日本文明のシンボルでもあるということを謳っているのです。ですから天皇に対する関心が薄れていく時代には、日本人の間に精神の危機が進行する。それが極限までにいったときに、弥生化が起こり、日本人としてのアイデンティティが再生するということなんですね。
 日本人の中に潜在する天皇意識は少なくとも平安時代からの一千年の間、少しも変わっていない。「源氏物語」は帝のご存在なくして、成り立たない文学ですが、読んでいると、作者の紫式部のように帝のお側近くに侍っていた人でも帝にただならぬ神秘性を感じているのが分かります。近代化した明治の時代でも例えば政治的には不敬事件を起こした内村鑑三のようなキリスト者でさえ、「日本において世界に卓絶した最も大いなる不思議は、実にわが皇室なり。天壌とともに窮まりなき我が皇室は、実に日本人民が唯一の誇りとすべきものなり」と述べています。そして戦後においても、例えば昭和天皇崩御時には一週間ほどの間に何百万人という人々が皇居前広場に赴きました。天皇のお立場は政治的には激変したにもかかわらずどうしてああいう反応を日本人が示すのか。これは日本人の中に息づいている「文明のDNA]によるものであり、日本の文明構造は戦後もまったく変わっていないということを雄弁に物語る光景だったと思います。正しく日本は天皇を中心に戴く国なのです。
ーー かつて首相の「神の国」発言がマスコミに叩かれたことがありましたが、文明史的にはまったく正当なものだったということですね。
中西 その通りです。「神国日本」は少なくとも庶民がそう信じていたという点では一千年来ずっと歴史的真実でした。日本人は天神地祇、つまり身近にいて自分たちの生活を守ってくれる「国つ神」と国全体の一員として忠誠を捧げる「天つ神」との双方の神を祀ってきました。天つ神と国つ神の二重構造です。仏教が入ってきたときも神道と仏教の二重構造にした。よく簡単に「日本には宗教がない」という人がいますが、日本ほど豊かな宗教心、宗教的な精神構造が残っている国はないんです。ただそれが外に向かうのではなく、内面に向かうので、外国の人には分かりにくいのです。神仏一如、神や仏は自分の心の中にある。菅原道真の和歌「心だに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らむ」には、心、誠、神は一つであるという日本人の深い宗教心がよく表れています。私はこれこそ一番進んだ信仰だと思います。これが日本人の信仰の形で、仏教でもキリスト教でも日本人はこの心境で受け止めようとするのです。日本人にとっては心こそが神なのです。
 
 
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