25年前の養鶏農家

 誕生日の木と木ことば
  5・21 エゴノキ 協同
 
両陛下は、平成7年は戦後50周年でしたので、戦没者の鎮魂の為に国内に止まり
外国には行かないと決めておられました。が、その歳の1月に阪神・淡路大震災
起こりました。被災地の人々が落ち着きを取り戻すのに1年では済まないだろうと
いうことで、平成8年も外国ご訪問を控えられました。
そして、平成9年のブラジル・アルゼンチンへのご訪問となりました。このブラジル
ご訪問の準備段階でのことです。
ある日、両陛下とお打ち合わせをしていると、この前ブラジルに行ったとき
サンパウロ郊外の日系人の農家を訪ねることになっていたのが、日程の都合で
直前に取りやめざるを得なくなった。今でも、そのことを気の毒に思っているが、
今度の旅行で、その人たちに会うことはできないだろうかとおっしゃいます。
確か、養鶏をやっている農家で、タナベさんという名前だったということまでおぼえておられました。
それが、20年近く前のことです。
そして、サンパウロで、タナベさんご夫妻は亡くなっていましたが、その子供たちと
お会いいただきました。
ところで、日系人は、世界のいくつかの地域に、それぞれ異なる歴史を背景に
して住んでいます。両陛下は、日本人を祖先とするこの人たちが、異境の地で、
国内の日本人の経験したことのない辛苦を重ね、努力して今日を築いてきた
歴史をよくご存じで、それだけに、いつも、この人たちの幸せを願っておられます。
詳しくは、「天皇家の執事」をご覧下さい。