新聞で授業を

 
              皇室とともに

 新聞を使って授業をしようと新聞社は学校へ働きかけている。さぞかしやってるかと尋ねてみたらそうでもなかった。どう教えるかと尋ねると
新聞を一つだけではなく、いろいろな新聞を読んで様々な考えを学ぶことを教える。
とまあ、文科省が東京の研修をおこなって教えた通りの回答。
反日文科省さま、成果が現れてご満足でしょう。

 新聞が書くことは、一つの考え方を書いているだけ。そこには、穴がある。その穴を発見できるようになること。どういう意図を持って書かれているかを読み取る。
教員から教えてもらった。東日本大震災のあった秋の文科省での研修で様々な考えを教えるとは、新聞三社を呼んで様々な原発に関する考えを学ぶと教えた。呆れる文科省。当時も、原発反対論を新聞社が書いている。反対意見の切り口が違う意見である。様々な考えとは、賛成、反対、そうではない、の意見を考え、自分なりの意見を持つことです。
 新聞社の書く記事に権威は無いのにそう感じてしまう現実を疑問視する。新聞に載ることの影響力を教える。左翼の人達が実権を握り世論を制御しようとしている。
ネットの普及により陰りが見えてきた。
 マスコミの役割は、権力の暴走を抑えるのではなく、民意の成熟を図るという重要な使命を持っている。それを、やらせられるのは国民だ。
 マスコミが第一権力者の政府、総理の手かせ足かせとなり最早、第一権力者となった。
 マスコミの弱点は、国民である。
マスコミと言っても、同じ人間が力を持って虚勢を張っているだけだ。国民が正しいことをハッキリと発言するとビビる。言葉が力だ。それを知っているからマスコミは、
地位についている人の発言の揚げ足を取って言論の自由な日本でも言葉狩りをして言論封殺、言論弾圧を行っている。やがて、我が身に返ってくる。国民が思い知らせてやることだ。差別用語も、言葉狩りです。「めくら」も差別用語になっている。しかし、どういう使い方をしたかが問題でありめくらの人に「めくらで不自由ですね」ということは、差別に当たらない。それでも、差別という。「座頭市」のセリフに「めくら」がある。削除されている。馬鹿げたことだ。差別用語は、悪だ、言葉狩りをして言論弾圧をしている。言論の自由であるはずが、公然と言論の自由を奪っている。これを、改善できるのは国民だ。

 マスコミを正すには、新聞を使い授業で正しい新聞の見方を教える事で、民意の成熟の為のマスコミに改善できる。

メディア報道研究政策センター