設備投資の前に給与投資

            皇室とともに
 
 
エッって、思った。
臭いに
しかし、一時期そう思った中学時代のことを思ったが
それは一時的なもの
苦味をうまみに感じない子供みたいなもの
問題は、日本人として誇りを持つ教育をしっかりやること
畳に寝っころがる心地よさ
リビングから見る畳で安心感
和風の家の良さはDNAは知っている。が、地震に弱いと思っているから畳が減る原因にもつながるのではないか。
あと、畳替えの費用を節約か、そうなると政府が企業が給与を日本民族のために大胆にアップ。設備投資という言葉があるが給与投資をすれば経済は好転する。価格アップと同時に大企業は30兆円を給与投資に回すべきだ。もっとよくなり企業の利益になる。
 
 

中学生からイグサ「臭い」の声 日本の畳文化は消滅してしまうのか…

産経新聞 5月17日(土)21時46分配信
 千数百年の歴史を持つ日本の「畳文化」が危機に直面している。イグサで作る畳の表面部分「畳表(たたみおもて)」の国内需要量はここ20年で3分の1に減り、住宅から急速に「和室」が姿を消している。背景には若い世代の畳離れやフローリング主体のマンションが増えるなど住環境の変化がある。そこで、業界では「畳ビズ」(環境対策などを目的に畳の普及を図るキャンペーン)商品を開発して畳のリラックス効果などをPR。伝統文化を見直す行事として「畳供養」も始めた。2020年東京五輪で外国人らを畳で「おもてなし」する構想も浮上、「畳」の復権へ一丸となって力を入れている。(岩口利一)

【フォト】畳文化の継承・発展を願って行われた「畳供養」

 ■畳表の生産激減

 「年をとったり、亡くなったりして廃業しました。後継者はいませんし…」。京都市南区で畳店を営む中野政夫さん(73)は畳表を手入れする作業を続けながら嘆く。

 周辺にあった畳店は相次いで閉じ、50年以上続けている3代目の中野さん自身も後継者がいない。さらにショックなことがあった。マンションで畳を運んでいたとき、その場にいた女子中学生がイグサの香りに「臭い」と言ったのだ。時代の変化を感じたという。

 熊本県い業生産販売振興協会の調査によると、国内の畳表需要量は平成5年は4500万枚だったが、24年には1490万枚にまで減少した。

 一方、主産県(福岡、熊本県)の畳表生産量(農林水産省統計)は16年産で780万枚だったが、19年産で500万枚を切り、25年産は9年前の半分以下となる343万枚だった。畳表は12年に輸入量が国内生産量を上回るようになり、現在は中国などに約8割を頼っているのだが、それも10年ほど前からは減少傾向で、日本人の“畳離れ”が顕著という。

 また、国内のい生産農家も16年は1260戸だったのが、25年には約半分の622戸にまで減少。同振興会によると、畳店数もここ10年間で半分程度に減ったとみられるという。

 「以前はマンションでも1室くらいは和室があったが、今はすべてフローリング(木質系素材の床)の部屋になってきた。ここまで需要が落ち込んだことを、業界の私たちは大きく危惧しています」

 全国畳産業振興会(京都市南区)の神邉こう一(かんべ・こういち)会長(77)はそう話す。日本家屋が多く残る地方や寺院が多い京都市などはまだ落ち込みは少ないが、マンションなどが多い都市圏の減少は著しいという。

 一方、畳そのものも変化してきた。畳は畳表、畳床、畳縁から成るが、畳床はわらだけの伝統的なものから、わらの間に発泡スチロールを挟んだものなどが大半を占めるようになったという。

 ■試行錯誤の開拓プロジェクト

 業界の縮小に危機感を強めた全国畳産業振興会は、19年から新市場開拓プロジェクトを開始した。畳の活用法を探るアイデアも公募し、寄せられたもののうちで車の中に畳を敷くというアイデアに注目。結局、実現はしなかったものの、神邉会長はこう話す。

 「まず畳のことを思い起こしてもらうことが大事。変わったことをやることで、畳に関心を持っていただきたい」

 畳離れに歯止めをかけるために試行錯誤を繰り返しながら、畳で地球温暖化防止を訴える「畳ビズ」を提唱し、歌も作った。畳を使ったネクタイや名刺入れなどの商品も開発。独特の香りを放つイグサのリラックス効果に着目した「合格の畳におい袋」は受験シーズンに人気があるという。

 さらに、21年からは畳の診断や選別ができる「畳ドクター」を認定。畳について安心して相談できる存在として現在では約1500人が活躍しているという。

 ■「畳供養」で“伝統文化”アピール

 年間行事としての定着を目指し、昨年から京都市上京区清浄華院(しょうじょうけいん)で始めたのが「畳供養」だ。古い畳表を供養し、畳文化の継承・発展を願う行事で、今年も「畳の日」(4月29日)を前にした同月25日に業界関係者や参拝者らが集まり、連綿と続いてきた「畳文化」に思いをはせた。

 「畳」の記述は古事記にさかのぼり、当時は敷物を重ねたものと推測されるという。現在の畳に似た構造になったのは平安時代といい、鎌倉から室町時代にかけ部屋に敷き詰めるようになった。茶道や数寄屋造の普及に伴って広がり、江戸時代に庶民の家にも敷かれるようになったらしい。

 こうした千数百年の歴史を持つ畳文化が危機にある中、神邉会長は「古事記にも出てくる畳という日本独自の伝統文化を大切にしないといけない。畳は夏涼しく、冬暖かく、ごろ寝ができる。人が集まり、一家団欒を保つのも畳の部屋です」とアピールしている。

 今年9月に東京で畳表のイベントを開くことも計画中で、「(現在の需要数の)約1500万枚から減らないよう歯止めをかけたい」と神邉会長。さまざまなPR作戦を展開しながら、全国に敷かれている畳を掘り起こし、表替えなどをしていきたいという。

 ■畳でおもてなし

 国内最大のイグサ産地、熊本県八代市も畳産業の冷え込みに頭を悩ますが、昨年9月には明るい光が差した。東京五輪決定を受け、林芳正農林水産相が五輪の選手村で畳の使用を推進したいと述べたのだ。

 同市のイグサ生産農家は、平成元年は3650戸だったのが昨年は500戸程度にまで減少。産地としての将来に大きな危機感がある。そこへ浮上した「畳でおもてなし」構想。これまでに市長らが上京し、農相らと面談。県や同市、農協などでつくる熊本県いぐさ・畳表活性化連絡協議会が今後、東京五輪に向けて畳を売り込んでいくという。

 「大臣からお話が出たので、地元として頑張り、チャンスをものにしたい。例えば選手村の休憩室や食堂などで畳を使ってもらえることを視野に入れてアピールしていきたい」と、同市農業生産流通課の田中和彦係長(44)は意気込む。五輪は畳のPRにとっても魅力的な機会で、海外の人にはまず畳を知ってもらい、国内ではイグサや畳の良さについてもう一度見直してもらいたいという。

 畳の部屋は減少しつつある一方、フローリングに簡単に置ける畳や、棺に敷く畳などは人気という。日本人はやはりイグサの香りに懐かしさを感じ、畳を忘れることができないのではないか。業界関係者らはそう信じて模索を続けている。
 
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