育児は労働ではありません(後編)

                 誕生日の木と木ことば
               2・5 アオジクウメ 澄んだ心 
 
 「日本の息吹」 田下 昌明 小児科医・医学博士
 
 女性は出産したら、その時から「母」になったとふつう思われていますが、実はそうではなく、子を産んだだけではまだ母になっていないのです。女性の脳(心)には将来母になるためのシステム(仕組み)が生まれながらに備わっていますが、それを起動するスイッチが入らないと「母への道」には入れない、すなわち母性愛が発生してこないのです。このスイッチは無数に用意されていて、妊娠中からずっと、その時期その時期に必要な時に毎日、毎時、毎分、毎秒ONになっていきます。
 スイッチの数は出産直後からだんだん多く出現し、赤ちゃんの発達につれてさらに増えていきます。一番多い時期は赤ちゃんの生後六週から六ヶ月まで、すなわちインプリンティングの時期。次が三歳までのアタッチメントの時期です。もうおわかりでしょう。スイッチを入れるのは自分の赤ちゃんなのです。すなわち赤ちゃんが母を母にするのです(連載第六十回参照)。だから育児の途中に空白が生ずると、それはもちろん赤ちゃんの発達に障害となりますが(連載第八十四回参照)、それだけではなく、母も母になるためのいくつかのスイッチが入らないために、母になりきらない不完全な母、いわば発達障害母になるおそれがあるということです。
 先月号で子供を託児所や保育所に預けるのは「母と子の人生の一部を空白にする」ことだと申しました。子供についてはわかるけれども、なぜ母の人生まで空白になるのか疑問に思われた読者もおられると思いますが、理由はこういうことなのです。
 しかしさまざまな事情から、子供を保育所にあずけなければならない場合ももちろんあります。その時、特に子供が三歳未満の場合は最も大事な時期なので、厳重な注意が必要です。母親は子供から愛着対象だと認識されているかどうか(本当に親だと思われているか)を、毎回点検しなければなりません。
 この時の注意点は、夕方に子供を受け取りに行って親と再会した時に、子供が嬉しそうな顔をするかどうかをよく観察することです。明らかに嬉しい表情であれば、あまり心配はないと思っていいのですが、そうでない時、たとえば表情を変えないとか、親を無視する、視線を合わせない、などの態度が出現した場合には、家に帰ったらまず何よりも先にしっかり抱っこをして、子供の気が済むまで遊んでやらなければなりません。その日の母子関係の空白を挽回しなければならないからです。
 ただしこの時、いくら心の中で思っていても「お母さんが悪いの、ごめんね」とは絶対に言ってはいけません。それは「私はお前に悪いことをしている」と言っているのと同じだからです。「それならなぜ止めないんだ」ということになるでしょ。
 いずれにしてもこのことがうまくいくかどうかは「子供からの発信」に対して母親がどれくらい敏感に反応できるか、つまり母が母になりきっているか、にかかっています。
 
 
            ご葬儀を雅楽の音で 格式高く
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