中国の華夷秩序とは

中華思想(ちゅうかしそう)

一般的に、自己の文化が最高で天下の中心に位置するとみて、それと異なる周辺の文化を蔑視(べっし)する考え方をいう。こういう思想がとくに根強く存在したのは、東アジアでは中国であり、「中華」の周辺に「夷狄(いてき)」を配するところから「華夷思想」とよぶこともある。この思想は、もともと儒教王道政治理論の一部として形成された。儒教天子(王者)がその徳によって民をあまねく教化することを理想とするから、王者の住む中華の土地はむろんのこと、辺境や塞外(さいがい)も「王化」が及ぶはずの地域であり、たとえ現在は夷狄であっても、将来いつの日にか中華の文化に同化する可能性があることになる。
こういう王者の徳を基準にした文化的な同化思想が中国で形成されたのは、戦国時代(前5~前3世紀)から秦(しん)・漢時代にかけてのことであった。それ以前の春秋時代(前8~前5世紀)ごろまでは、戎(じゆう)、狄、蛮(ばん)、夷の異種族は中華の諸侯から政治的に排除されるだけであった。ところが「戦国の七雄」とよばれるような、比較的広い領域を支配する国家が出現するようになると、それまで戎、狄、蛮、夷として排除されていた異種族もその郡県制領域支配のなかに取り込まれ、「王者」の徳が及べば中華に上昇する可能性があるとみなされるようになった。中華思想が、異なった種族の文化の存在を認めるのは、彼らの文化の独自の価値を認めるからではなくて、あくまで中華文化に同化する可能性をもつ限りにおいてである。したがって外国からくる使節も、中華を慕って「朝貢」したという形をとることによって、わずかに受け入れられた。
中華思想は、自己を天下で唯一の最高の中心と考えるから、隣接する対等の国の存在を認めない。ここまでが中国だと自らを限定する国境や領土の観念をもつことは、「王化」の拡大する可能性否定することになるからである。しかし、そうした国境や領土に関する観念のあいまいさが、近代以降になり、列強による中国領土・利権の分割を容易にさせたことは否定できない。
[ 執筆者:小倉芳彦
 
皇室の精神とは全く別もので恐ろしい考え方だ。
これでは、人権問題が解決しない。人を人と思わない。卑劣な行い、拷問などをするはずだ。分かりやすい例が、漢民族は、ウイグルチベット・モンゴルの女性の急所に馬の毛で作った綱を押し当てて鋸のように挽いて殺す。泣き叫ぶ姿を見て慶ぶような悪魔の所業をしている。
多くの人が知らない。許せるものではない。だから、人権問題解決のためにも中国
から撤退せよ。と言っているのだ。もはや、悪銭だ。悪銭身につかず。中国の仲間と
等しい行為をしているという認識を持て。
マスコミも中国の恫喝に屈して報道しないと、庇っておこう。