とても大きな違和感

                    誕生日の木と木ことば
              6・28 クロガネモチ 風格
 
  原発問題に関する議論に私はとても大きな違和感を覚える。天災・人災が一緒にされてしまっている。天災は防ぎようが無いが、被害を少なくすることはできる。一方人災は無くす事ができる。今回の東日本大震災放射能汚染は人災だ。勿論、菅直人元首相と政府の責任だ。殺人罪にあたると考える。しかし、それでよいのか。度重なる警告をお天道様から頂いていたと思えないか。国会でも数回にわたって原発電源喪失の危険性を指摘され対策を求められてきた。そのことに対して、議員・マスコミ・国民・わたしも何もしなかった。だから、起きなくてもよい事故を招いた。責任感はないのか。被災者の方々は、先祖伝来の土地に昔ながらの生活を取り戻したいだけだと仰るのです。その努力を我々は本当に行っているか。答えは、ノーだ。いい加減な除線がなされていることを分かって何もしない言わない。被災者を見殺しにしているも同然だ。今も、鬱に苦しみ自殺者がこれからも出てくる惨状をどうするのか。
原発を止めたら安全なのか。運転していても同じことだ。あのおんぼろ福島原発でさえ地震で緊急停止した。その後の津波により電源喪失により放射能汚染がおこった。その対策は出来ているという。ならば、事故が起きても放射能を閉じ込められる原発は稼動すべきだ。そして、燃料代が火力により年間3~4兆円と言われている。
原発稼動によりういた燃料代の7~8割を電気事業連合会が主体で正しい除線をおこなうべきだ。汚染された土などを集め除線をするプラントをつくり高濃度物質を処理する。その場所は、福島原発の地下深くに処理する。そのために調査を政府も東電も行っていない。6月25日現在。これをお粗末としか言いようがないのではないか。安全の名の下に被災者を見捨てることは止めることだ。
 
学術的にも歴史的にもあと9年以内に関東大震災のような災害が来ると言う。東南海4連動地震もありうると言う。首都機能移転、倒壊対策、道路の確保、など行って減災しなければならない。食糧、水の確保どころの話ではない。
同じ過ちを繰り返すのか。無関心、今が大事でいいのか。
 
 
奈良・平安の音色を今に伝える 笙の音を お楽しみください