美しい心

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 正論9月号 P224 金 美齢氏が書いている。
 
 美しいとは何かー。
 それは愛する人たちのために、社会のために、国家のために、自分のことを後回しにして行動することである。これに対し醜いとは、自分の利益のために周りの人たちを、社会を、国家を踏み台にすることである。(抜粋)
 
 これを、学校で教えるとどうなるのですか?日教組の教員に取り囲まれて一斉攻撃の虐めにあうことは創造できますが、校長、教育委員会はどうするのか?父兄は一斉に立ち上がってこの先生を応援し守るのか?
 
 アジア諸国の中で、戦前の日本の美しい心を認めない国など、私は四つしかしらない。中国、韓国、北朝鮮、そして日本自身だ。東京裁判史観とそれを補完する戦後教育により、日本から美しい心が消えてしまったことを嘆くアジア諸国の知識人の声に、戦後の日本人は、ことに政治家は、真摯に耳を傾けるべきではないか。私自身、「日本人は変わってしまったね」と李登輝総統がつぶやくのを何度も耳にした。(抜粋)
 
 拝金主義、老いも若きも エッ ということを目にする。
ワイドショーで、「こんなに酷いよ日本人」というシリーズものをやると自覚できるのではないか。親の背中を見て子は育つ 死語になってるのかな?教えるということは、自分が成長できることである。何事においても。まともな子に成長することが老後の幸せだ。子も、幸せになれる。駄目親を反面教師としていける子は少ない。
日本が、アジアの世界の範を示す国とならねばならない。そのためには、日教組をまともなものに変えないといけない。大きな声を挙げる事が第一歩となる。