誇りある日本人の物語を語ろう

                誕生日の木と木ことば
             1・31 ポプラ 勇気
 
 「日本の息吹」2月号より
 
   桜林 美佐 ジャーナリスト
    テレビ番組のディレクターなども務めた。「はなまるマーケット」など。
    防衛省の防衛生産・技術基盤研究会委員。
 
  門田 隆将 ノンフィクション作家
    週刊新潮編集部副部長を経て、平成20年に独立。
    「この命、義に捧ぐー台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡」(第19回山本
    七平賞。台湾で翻訳本「為義捐命」)「甲子園への遺言」「裁判官が日本を
    滅ぼす」「なぜ君は絶望と闘えたのかー本村洋の3300日」「神宮の奇跡」
    など多数。
 
 P8から抜粋
 
 門田 大正時代に取材をして私自身意外な感じがしたのが、現代と変わらないということです。恋もすれば、革新的な考えを持っていたりもする。また、受験戦争はあるし、過保護な母親もいたり・・・。昭和18年10月21日、神宮外苑競技場で学徒出陣の壮行会がありますが、その後の入隊の日付を陸軍と海軍はずらしている。なぜかというと、入隊するために向かう列車が母親など付き添いの人々で満杯になるからです。
 特攻兵器「桜花」の搭乗員だった学徒出身のある人は、その壮行会の前日まで長髪でデートしていたという。しかし、その人は”生還を期しがたい特攻兵器”に乗ることを志願するか、と問われ、実際に志願した。長髪で青春を謳歌していたのに、なぜ志願したのですか、と聞くと、「門田さん、兄弟は?」と逆に聞いてくる。「兄が一人」と答えると「そうか、それは良かった。自分は姉と妹と弟だった。日本があそこまで追い詰められたときに、君が僕の立場だったらどうする?お姉さんを行かすか、妹を行かすか、幼い弟を行かすか、それとも年老いた父親を行かせますか。自分しかいないでしょう」と。当時の学徒たちは、洋書を原書で学んでいたような俊秀揃いでした。「これ(原書)置いて行ったんだよ」と、学問への思いも断ち切って家族のために死ぬ覚悟を決めて行ったというのです。
 こんな話もあります。学徒出陣壮行会の前夜、東京商大(いまの一橋大学)の学生寮で学生たちが壮行の杯を交わしていると、闇夜のどこからか賛美歌が聞えてくる。寮生が声の方向に走っていくと、キャンドルを片手に津田塾の十数名の女子学生たちが賛美歌を歌っていた。ペンを剣に持ちかえて殺戮の戦場に行かなければならない、そんな学徒たちの無念を知る女学生たちが、何もできないけれど無事を祈ることだけはできる、と武蔵野のクヌギ林の中を歩いてやって来て、賛美歌を歌ったのです。
 出てきた商大の寮生たちは、女学生たちと輪になって一緒に歌いました。そして、皆で最後に涙を流しながら歌ったのが、「海ゆかば」でした。そこには、学問を捨てなければならない無念と、どうにもならない時代への怒りもあったと思う。でも、自分たちが行くしかないと彼らは覚悟を決めて戦場に向かったのです。それまで寮生たちが歌っていたのは、「自由の砦 自治の城」というリベラルな「紫紺の闇」という寮歌だったのに、女学生たちと共に声を振り絞って歌ったのは、「海ゆかば」だった。戦後ジャーナリズムは、当時の若者は「洗脳されていた」と言うが、そうじゃない。日常はいまの我々と同じ感覚の若者たちだった。しかし、その同じ若者がいざ祖国の危急に際して使命感と責任感と潔さによって殺戮の戦場に向かったのです。そして米軍をして、日本軍とはこんなにも強かったのか、という畏怖の念を抱かせるほどの奮戦をしてみせた。
 桜林 その奮戦の記憶が講和の条件にもつながったし、目には見えないけれども、戦後の日本を守ってきたと思います。敗れたりといえども日本恐るべしと世界は密かに畏怖してきた。
 門田 そう考えると、戦後の我々は大正世代によって生かされている。しかし、その恩義を忘れた人々が、大正世代はアジアへの侵略者だったと、一方的に貶めています。彼らの真実の声を伝え遺す機械は、もう今しかない。私は、そういう気持ちで取材に駆け回って90歳前後になってもかくしゃくとされている大正世代と向き合っています。
 そう、高度経済成長を支えたのは彼ら大正世代です。
 
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  電車の中で読んでいましたが、涙が出てきた。同情ではない。素晴らしい精神。
 我が身を投げ出し、お国の為、家族のために命を捧げる。今は、どうだ。否定す
 るのが常識のようだ。常に戦場にある心を忘れないように務めている。悪は、弱い
 もの、備えの無い油断しているものを狙っている。日本が2600年もの長きに渡っ
 て独立自尊を歩んでこられたのも国防を重視してきたからだ。いま国防は壊滅的
 な状態を迎えていることをどれだけの国民が理解しているのか。我々の安全は
 補償されないということだ。マチュピチュが、簡単に滅んだのも無防備で易とも容  易く侵略されたからだ。平和の為にも、真剣に国防を考え自らの手で国を守るこ
 とをしないといけない。これのどこが軍国主義ですか。
 
 
               ご葬儀を雅楽の音で 格式高く
             http://www.gagaku-heiwa.jp
 
  いき付くところ、ご恩を感じること。これが、分かれば自ずと行動に現れてくる。