皇室とともに
英語を子どもに教えるな
英語は、日本人全員がマスターしなければならない事ではない。日本を移民国家にしない為にも日本人の多くは日常英会話は出来ない方がよい。では、何の為に外国語を学ぶか?海外の情報を日本語に翻訳された本を読んで学べるようにすることも一つの目的だ。日本防衛のために外国語を学ぶ。優れた外交官、通訳を育てる。その為には、まず母国語をしっかりと身に付ける事だ。そして、日本の伝統や文化をしっかりと学び理解していないと外国の文化は理解できない。文科省の教育では、日本の伝統や文化についてとても疎かにする指導がなされている。教員も事なかれ主義で多くが教えないでいる。保護者もそうだ。
「英語を子どもに教えるな」という本は、早期教育は、英語も母国語もダメするから止めましょうという提案だ。しかし、バイリンガルを育てるにはこうしたことに留意するといいですよと「親が留意すべき10のポイント」を示している。詳しくは、この本をお読みください。
ポイント6 子どもの「感性」を磨こう
「どうして子どもは子どものままでいてはいけないのか?」
私(市川著者)は、受験産業に身を置いた人間だけに、深い自戒を込めて、この言葉をかみしめる時がある。
今の子どもへの英語教育ブームは、「学歴重視社会」が「英語重視社会」に名前を変えただけで、本質は変わっていない。なるべく早いうちから「いい学校」に行く準備をすれば、後が楽だという発想と、なるべく早いうちから「英語」を習わせれば、簡単に身につくという発想との間にどれほどの違いがあるだろうか。もし、グローバル化した世の中において生き残るためのコミュニケーションツールとして「英語」が必要だと考えるならば、「英語を話せるようになること」が目標にはならない。なぜならば、国際競争において求められるのは、独創的なアイデアを構築する力であり、他国の人には真似できない日本人ならではの発想だからだ。それが存在して初めて「英語」が必要になってくる。
自分のアイデアや専門分野について説明し、議論できる「特殊な英語力」である。この場合、特定の分野について集中的に訓練することが対策として最も有効なやり方だ。
著者は、英語のプロに自らの専門分野についての説明や議論を委ねるほうがいいと書いていると私は読み取る。
・高度な英語力と専門能力とを兼ね備えた人材は、もっと多くならないとだめだ。しかし、そのためには、英語も含めて、必死に努力して勉強し続けていかざるを得ない。
・逆に、楽しく外国人とコミュニケーションし、国際理解を深めたいと考えるならば、中学校の教科書レベルの英語で十分だ。子どもの時から必死になって英語を勉強させなくてよい。
・外国人から軽蔑されないために乳幼児期には、英語力よりも「人間性」を豊かにする素地をつくることが大事だ。
・バイリンガルを育てるならば、親自身も高い英語力を持ち、でき得る限り、フォローする覚悟が必要だし、費用も非常にかかると言いたい。中途半端に行うなら、絶対にやめたほうがいい。
重要 子ども時代に子どもであることの意味
・豊かで、柔軟な「感性」を育てるには、子どものままでいることが大事である。
・子どもの「感性」は、自分の感覚を最大限活用して、自発的に学ぼうとした時に発揮される。親の期待に応えようとする受け身の学習を通じては育たない。
・自然の中に身を置き、体を動かし、五感を総動員して学ぶ経験が必要不可欠だ。ことばだけに頼らずに、感覚を通じて何かを理解しようとする経験を繰り返すことで「感性」は鋭くなる。
・子どもがなんとかして自分の感動をことばにして親に伝えようとする。一生懸命語ろうとするわが子と接したら、一緒になって親もワクワクして、子どもの世界をわかろうとすることを楽しめばよい。それが子どもの「感性」を育てることになる。
・一度、できあがった「感性」を変えることは難しい。だからこそ、私たちは、子どもの「感性」をいかにして育てるかを常に意識していなくてはならない。
グローバル化した社会を生きる為にと世間では言う。違う!日本人の感性、日本の伝統や文化は、皇室の伝統や精神の強い結びつきがある。世界にはない、とても素晴らしいものである。文科省はこれを否定し教えさせないように工夫を凝らしている。保護者が、日本の素晴らしさを学び家庭で教える。そして、グローバル化社会に飲み込まれないで日本らしく、世界に範を示し、世界を救う気概が必要だ。これが、日本のあるべき姿だ。
「恩」の一文字を感じられる人に、とても、難しい事ではあるがそこに挑むことが重要だ。ユダヤ思想とは真逆だと思う。拝金主義や物欲主義を反省する時期が来た。