バイリンガルを育てるポイント 7

               皇室とともに


英語を子どもに教えるな

 

英語は、日本人全員がマスターしなければならない事ではない。日本を移民国家にしない為にも日本人の多くは日常英会話は出来ない方がよい。では、何の為に外国語を学ぶか?海外の情報を日本語に翻訳された本を読んで学べるようにすることも一つの目的だ。日本防衛のために外国語を学ぶ。優れた外交官、通訳を育てる。その為には、まず母国語をしっかりと身に付ける事だ。そして、日本の伝統や文化をしっかりと学び理解していないと外国の文化は理解できない。文科省の教育では、日本の伝統や文化についてとても疎かにする指導がなされている。教員も事なかれ主義で多くが教えないでいる。保護者もそうだ。
「英語を子どもに教えるな」という本は、早期教育は、英語も母国語もダメするから止めましょうという提案だ。しかし、バイリンガルを育てるにはこうしたことに留意するといいですよと「親が留意すべき10のポイント」を示している。詳しくは、この本をお読みください。

 

ポイント7 子どもの「選択力」を育もう
「子育てというのは子どもに言語能力をつけるだけではない。そのことばとともに心を育て感覚を豊かにし、ものの見方や幅を広げること、そして、親がこのように生きたという、確かな存在感を子どもの中の核として伝え、子どもの安定を支えることにあるのだ、と思う。それができれば何語であってもいいわけだが、私は関心をもつのは、誰が子どもに英語を教えるにしても、日本語と英語の背景にある文化風土の差をどのように伝えるか、という点にある」(中津燎子「バイリンガルについて思うこと」アルク、1994年)と述べている。英語を母語とする人々と日本人との間にある文化差を伝えることは、英語を使って外国人とやりとりできる人に子どもを育てていくうえで非常に大切なことである。
欧米人の親、教師は、
幼い時から子どもに対して、どんな些細な事柄でも自分の責任で選択するように徹底的に訓練する。
幼いうちから子どもに選択の自由を与えるけれども、子どもの選択を認めることができるかどうかを決定するのは親であり、自由に選べる部分と選べない部分があることは厳しく教える。
子どもが自分で判断し、自分で行動できるように訓練するのは、自分が選んだ行動の結果生じたことについては、必ず自分で責任を負わなければならないことを、体験を通じて理解させるためだ。
幼児に対して「厳格なしつけ」をする欧米に対して、「寛容なしつけ」をする日本という図式が浮かび上がるが、
結果的に子どもを「型にはめ込んでいく」日本
        「独創的なアイデアを奨励する」欧米
その答えが「子どもに選択させる」ことにあると考える著者。
 欧米人・しつけが厳格なのは、最低限守るべきルールを教えるためで、それさえ守れば、後は何をしても自由なのである。だから、失敗を恐れず、独創的な発想を生み出そうとする態度を形成していくといえよう。
 日本人・なるべく安全な道、成功する確率が高い道、苦労しない道を子どもに選ばせたいと思ってしまう。子どもに選ばせるのが面倒だから、親が勝手に決めてしまうということもしがちである。
     何かに挑戦する「選択」、失敗しながら学ぶ「選択」を行うチャンスを奪っている。

著者は、日本人の「英語コンプレックス」の根源が、子ども時代からずっと
「意味のある失敗経験」を回避してきたことにあると感じている。英語を実際に使えるようになるには、間違いながら、失敗を繰り返しながら、大恥をかきながら、それでもあきらめずに努力し続けることが必要だ。
英語が身に付かない原因を学校英語や受験英語のせいにしてしまう
のは短絡的すぎる。日々努力すれば、誰でもそれなりに英語を使えるようになるということを、「英語コンプレックス」を抱いている人は気づかなければならない。

 

   親の大事な役割は、子どもの選択を温かく見守り、失敗してもあきら
めずに努力するよう励まし続け、成果を得た時には心からほめてあげることである。失敗を恐れず思い切って選択するという態度を親子ともに身につけることが、英語を話せる子どもを育てるうえで必要不可欠といえよう。

親は、子育てをやたらと外注化してしまう。
教育基本法<家庭教育>第十条 父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する 親ができる教育は親が行う。教育の丸投げは間違い。



日本のこころを大切にする党 代表 中山恭子議員
ルーズベルトが日本に戦争を仕掛けた