TTPへの疑問に答えます 山下一仁キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

TPPへの疑問点に答えます 山下一仁キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

TPP(環太平洋連携構想)については、国基研にもさまざまな疑問が寄せられました。平成23年10月にTPP推進の立場から報告書をまとめたキヤノングローバル戦略研究所の山下一仁研究主幹に、回答してもらいました。
 
 
1、TPPは国を売り飛ばす?
【疑問】TPPは日本の社会秩序を変え、国柄を変えてしまう危険な内容を含んでいます。TPPは日本にとって亡国協定となる恐れが大きいのです。TPPは金融、投資など24分野にわたって関税を撤廃しようとするもので、こんなものに参加すれば日本は関税自主権を失い、米国の餌食になって、その揚げ句、誇るべき伝統や文化までもが破壊され尽くされてしまうでしょう。国を売り飛ばすようなTPPをなぜ推進するのか、理解できません。

【答え】
  工業製品や農産物などの物品については、貿易を制限するために関税が課されています。貿易の自由化とは、関税の削減・撤廃を意味します。これまで我が国が結んできた自由貿易協定では、多数の農産物を関税撤廃の例外としてきました。これに対して、TPP交渉では、例外なき関税の撤廃が目指されています。しかし、例えば農産物の関税が撤廃され、農産物価格が下がっても、アメリカや欧州連合EU)が行っているように、農家に直接支払いの補助金を交付すれば、農家は困りません。困るのは、農産物価格に応じて手数料収入を得ている農協なのです。「TPPと農業問題」というとらえ方は正確ではありません。正しくは、「TPPと農協問題」です。
  金融などのサービスについては、関税はそもそもありません。サービス分野の交渉では、各国の国内規制を前提として、例えばスイスに与えると同じ待遇をインドにも与えるという最恵国待遇の原則や、国内の事業者と外国の事業者を同一に扱うという内外無差別の原則をどこまで認めるかが、交渉の対象となります。サービス交渉で自由化とはこのことです。従って、自由化の約束とは、規制の撤廃を意味するものではなく、各国が自由に国内規制を作成、実施することを妨げるものではありません。つまり、これによって今の日本の医療制度や伝統文化についての規制が変更されるものではないのです。さらに、物品の関税と違って、サービス分野の自由化には例外が認められます。
投資についても、関税はありません。外国に投資を行う場合、①技術情報の開示を求められる、②その国の企業が製造した部品の購入を要求される、③投資収益を日本に送金できない―などの規制が課されることがあります。TPPなどの交渉は、こうした規制を取り除こうとするものです。我が国にはこのような規制はありません。TPPに参加することによって、我が国には不利益はなく、日本企業の海外への投資が自由に行われ、また、保護されるという利益を受けることになります。
  「関税自主権」に一言しておきます。確かに一部農産物については高い関税が残っていますが、それを除けば日本の関税はおおむね数%かゼロとなっています。しかも、農産物についての高い関税も含めて、世界貿易機関WTO)にこれ以上あげることはしませんと約束しています。花や自動車については関税ゼロで約束していますから、関税をもはや課することはできません。これは、日本だけでなく、WTOに参加している国なら皆同じです。今やWTO未加盟国を除き、関税自主権を持っている国はないのです。
 
2、ISDS条項は危険?
【疑問】TPPには、外国企業が投資先の国を訴えることのできるISDS条項と、「TPP交渉で決まったことは修正不可能」という恐るべきラチェット条項があるのです。ISDS条項によると、企業は投資先の国の制度や政策によって不利益を被ったと思った場合、仲裁機関に訴えることができます。裁定基準は「企業が損害を被ったか」という一点だけです。これは米国寄りの無茶苦茶な制度です。国が負ければ巨額の賠償金を払うか、制度を変えるしかないのです。日本がTPPに参加して、米国企業が「日本の国民皆保険はわれわれのビジネスの障害だ」とか「遺伝子組み換え食品を受け入れろ」と訴えれば、日本は負けます。米国の狙いは、ISDS条項をねじ込んで米国企業が訴訟のテクニックを駆使して儲けることです。

【答え】
  ISDS(Investor‐State Dispute Settlement)条項とは、投資家が投資先の国家の政策によって被害を受けた場合に、その国家を第三者である仲裁裁判所に訴えることができるというものです。国有化に見られるような直接的な財産権の没収、収用の場合だけではなく、規制の導入や変更によって収用と同じような被害を受ける場合や、投資家の期待した利益が損なわれるような場合についても訴訟の対象とされるので、日本政府が外国企業から訴えられるのではないかという批判がされています。
しかし、単に投資家が損害を被ったというだけで、訴えることができるというものではありません。規制の変更などによって国有化に匹敵する「相当な略奪行為」があるような場合や、国内の企業に比べて外国の企業を不当に差別するような場合でなければ、ISDS条項の対象とはなりません。
  ISDS条項については、アメリカ、カナダ、メキシコが参加する北米自由貿易協定NAFTA)のISDS条項を使って、カナダやメキシコの環境規制がアメリカの企業に訴えられたことから、環境団体が問題だと主張するようになったものです。しかし、問題となった事件は、カナダがガソリン添加物の規制を導入することによってアメリカの燃料メーカーが操業停止に追い込まれたために起きたものでした。ガソリン添加物の使用や国内生産は禁止しないのに、州をまたいだ流通や外国からの輸入については規制し、外国企業に一方的に負担を課すものでした。これは、ISDS条項の問題ではなく、訴えられた国の政策が明らかにおかしいものでした。
  また、仲裁裁判所の一つはアメリカ人が総裁をしている世界銀行の下に設けられているので、アメリカに有利な判断が下されるという主張がありますが、これは根拠のない主張です。世銀は仲裁判断に一切関与しません。また、NAFTA成立後20年近い間でアメリカ企業がカナダ政府を訴えたのは16件ですが、アメリカ企業が勝ったのは2件で、5件で負けています。
  外国企業のみを狙い撃ちするような不当な措置でなければ、医療政策、環境規制や食品の安全性・表示規制なども、問題とされることはありません。しかも、仲裁裁判所では金銭による賠償を命じるだけで、規制の変更が命じられることはありません。
  既に日本がタイや中国などと結んだ24の協定にもISDS条項は存在します。日本企業がタイを訴えるのは良くて、アメリカ企業が日本を訴えるのは問題だというのは奇妙な論理です。
  どの協定にも同じISDS条項があるのではありません。日本が懸念を持つ事項があれば、それを解消できる規定とするよう交渉することが可能です。アメリカもISDS条項に限定を加えてきています。他方、訴えられることばかり心配されますが、日本の投資家が海外で不利な扱いを受けないようにするためには、ISDSは実は必要な規定なのです。
  なお、米韓のFTAにラチェット規定があるので問題だという批判があるようです。これは、現状の規制水準を緩和したらもとの規制に戻さないという約束規定です。しかし、投資や一部のサービス(国境間のサービスおよび金融)について、米韓FTAで定めた原則に対して例外を設けた措置に限られるものです。しかも、例外措置にも、ラチェット規定が適用されない措置も存在します。ラチェット規定があるために、BSEについて、いったんアメリカ産牛肉の輸入条件を緩和すれば、元の規制に戻せないという主張がなされましたが、SPS(衛生植物検疫措置)は投資やサービスではありませんので、そもそもラチェット規定は適用されません。