生活インフラの整備が全く進まず住民が戻れない福島原発警戒区域 櫻井よしこ氏

生活インフラの整備が全く進まず住民が戻れない福島原発警戒区域 櫻井よしこ

生活インフラの整備が全く進まず住民が戻れない福島原発警戒区域 
8月末、福島第一原子力発電所(F1)事故の後遺症に苦しむ市町村を取材した。F1から20キロメートル以上離れた広野町を手始めに、海岸沿いに、8月10日まで警戒区域に指定されていた楢葉町を抜け、現在も警戒区域富岡町大熊町双葉町浪江町とたどって南相馬市まで、1日かけて見てきた。NPO法人「ハッピーロードネット」(HRN)の代表で広野町に住む西本由美子さんら現地の人々が、案内役を買ってくださった。
楢葉町から富岡町に入るとき、一人ひとり身分証明書と本人が一致するかを調べられた。以前は運転する人の身分証明だけで通行できたが、いまや同乗者全員が調べられる。町全体が警戒区域に指定され、一時帰宅は可能だが、誰も住んでいない。無人の町で窃盗事件が続発しているからだという。浪江町では放火事件まで発生した。
捕まえてみれば犯人は地元の人間だったという事例が増えており、犯罪の圧倒的多数が外国人によるものだった事故発生直後とは、状況が変化しているのだ。
「それも仕方ないことかもしれません。何といっても、故郷の復興のめどは全く立っていないのですから。皆の間に、焦りや恨みの気持ちが強くなっているのです」
西本さんが言い、案内役の30~40代の男性たちがうなずく。 
車が大熊町に入ると線量計の数値が急上昇した。毎時2~3マイクロシーベルトだったものが6~8マイクロシーベルト台、さらにF1の入り口のすぐ近くでは10、14、19と上がり、フェンスの向こう側がF1の敷地となる場所に立つと33マイクロシーベルトまで記録した。私も含めて全員、白い防護服など身に着けていない。時折、行き交う警官も同様である。
大熊町だけでなく各市町村の随所に「牛と衝突 注意」の看板がかかっている。放たれた牛たちは数頭の群れをつくって移動するそうだ。
浪江町の請戸漁港を歩いた。小さな漁村のあったこの地で、津波の犠牲者180人のご遺体が上がったそうだ。がれきの散乱する荒野となった中に一筋の道が走り、その角に、供養の小さな塔が立てられていた。花と水と酒が、暑い日差しの下で、わずかに人間の息づかいを伝えていた。私たちは車を降りて合掌し、周辺を歩いた。西本さんが感慨深げに語った。
「がれきの山がいまは草に覆われて、まるで小さな緑の山のように見えます」
彼女の指さした方向、道の山側は確かに緑の葉が茂る小高い丘になっている。その下に幾多の車や家屋の残骸が発災から1年以上過ぎたいまもそのままになっているのだ。しばらく歩くと、荒れ地一面に清楚な水色の花が咲く湿地が出現した。水草が繁茂する水色の花畑にも注意深く見れば生い茂る草に隠された残骸はすぐに見つかる。
眼前の現実は、復興はもちろん、復旧さえも全く進んでいないということだ。去年の3月以来、被害を受けたことについても、後ろ向きにならず前向きに対処してきた西本さんでさえ、この手付かずの現場に立つと怒りを爆発させる。
「国のエネルギー政策を考えると、理屈では原発が必要なことはわかります。けれど、原発再稼働は福島の人たちが戻れる場所に戻って、生活をし始めるということの後に来るべきことです。放射線量は低い、警戒区域は解除されたと言われて故郷に戻った私も、生活基盤の復旧が全く進まないために、本当に苦労しています。民主党政権を恨みたくもなります」
放射線量の程度を見ながら戻った人たちはいま、医療施設も、銀行も、食料品を買う店もない状態で暮らしている。車のない人やお年寄りは到底戻れない。住民に戻ってほしいと言う前に戻れるインフラを政府の責任で作らなければならない。そんなこともできないとしたら与党の資格はない。
週刊ダイヤモンド』 2012年9月15日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 952