英語を無理やり話させることは、「人権問題」

                    皇室とともに    

「英語化は愚民家」には、
イギリスの文化戦略を事実上担う機関に「ブリティッシュ・カウンシル」がある。英語教育以外にもイギリス文化の発信を戦略的に行っている公共機関が発行した「英語の未来」の書籍には驚くことが記載されている。
そこが危惧すること、
世界の人々が、母語で教育を受け、生活をする権利、つまり「言語権」考え方に目覚めたり、言語的多様性の保護に意識的になったりすることに、イギリスとして警戒しなければならない。もし、各国の人々が「子供が母語で教育を受けることは人権の一つである」と主張し、「言語権」が人権問題として語られるようになれば、どうなるか。実際の因果関係はどうあれ、「英語の世界的隆盛のせいで少数言語が数多く亡び、言語的多様性が損なわれた」という批判が高まれば、どうなるか。こうした事態が生じ、英語がやり玉に挙げられることを「悪夢」だと、回避する為に「ブランド・イメージ」を慎重に守っていく必要性を主張しているという。
英語により文化支配は、明らかに英語国に有利で、非英語国にいわれなき不利益を押し付ける不当な構造である。
であるから、
民間団体が、国連で人権問題として扱うように活動をして政府が新自由主義と闘えるようにすることが現実的だと考える。

新しい形を変えた、植民地化と言えると思う。新自由主義者による。世界を破滅に導くものだ。すでに、暴動やテロが起きている。日本の皇室の精神の『大御宝』で経済活動も行うことが平和な世界構築になる。人は、競争に勝ち抜き勝者になると信じ多くは負けていく。その反動で世の中が不安定になる。格差が大きくならない日本式がいい。日本語を話すと他国の人も穏やかになるという。日本語は素晴らしい、誇りを持てる言語、母語であることも国民は理解する。漢字のお蔭で、おおよその理解が得られる。知的水準も高い。日本語で考えるから「読解力」「数的思考力」で他国を大きく上回る第一位である。OECDの「国際成人力調査」2013,10公表
英語で学ぶことは、大変な労力で非効率な事であるから学力も激減する。

経済界は、活動しやすくするために英語教育を強引に推進する。しかし、物つくりに役に立つ日本語排することは「擦り合わせ型」製造業の日本には不利益だ。そして、外需頼みというが、経済界は何時から内需拡大が日本の成長に必要という主張を変えたのか。戦後の日本は、輸出・輸入依存度は、ほぼ一貫して、ともに10~18%程度である。だから、高度成長がなされたのも輸出ではなく内需中心型経済であった。賃金が上がり経済が活性化した。今は、外人を入れて賃金を抑制しているから企業も首を絞めている。愚かなり、欲の間違いの結果だ。ここにも、『大御宝』の精神があれば自らも結構になる。

新自由主義が、自らの欲望の為に「グローバル化」「ボーダレス化」をする。英語を使わなければ波に乗れない、勝ち残れないと嘯く。それに乗っかった日本人。精神性が仇となった。使い方を間違わないことで教育でも教えないといけない。長所が短所、短所が長所。使い分けるのは各々。

国民に、日本語の素晴らしさを自覚させ、母国語を使わせないことは人権問題だと世界に発信すること。自国で生活できる環境を作ることに日本が寄与すると大東亜戦争以来の世界貢献になる。

英語を学ぶことは良いことだという、一つの見解に従っているといえる。間違いだ。例を挙げれば、
教育基本法は、理念法であるから守るべきものだという見解。
間違いです。
学習指導要領は、実現するためのものだから守らなければならないという。そこには、教育基本法も書かれて、教育を行うものとする。となっている。だから、教育基本法も守らなければならない。教育の目的は、国家及び社会の形成者となる資質を育てるのであるから、また、理念法にしなければ成立しなかった。が、学習指導要領に記載することで守るべきことではなく守らなければならないとした。その意味を議員は知らない。文科省の見解をぶっ潰し、プライドをへし折る。それが出来るのが、議員だ。現場にも、徹底させる。

小学校で英語を教えることは廃止する。岐阜市ではすでに教科化しているという。呆れるね。聖子ちゃん解決してよ。

ルーズベルトが日本に戦争を仕掛けた