見かけなくなった接ぎあて

                               皇室とともに

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 小さな穴が開いたので、接ぎあてをした。「民の竃」の話を真似して。
  学校の先生は、この話も『大御宝』も知らない人が多い。県教は、研修
  等を通して先生に教えることすら拒んで憚らない。
  教育基本法 第一章 第二条五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐく
  んできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平
  和と発展に寄与する態度を養うこと。
  学習指導要領 第3章 第2 内容
  道徳の時間を要として学校の教育活動全体を通じて行う道徳の内容
  は、次のとおりとする。
  とある。文科省は皇室に対して尊敬の念を持たせたくない。だから、
   『大御宝』「民の竃」の話を先生に教えない。知らないから教えないと
   言う現実がある。全国的にそうだ。
  父兄から各学校に要望すればやらざる負えなくなる。また、やりたくて
  も波風立つことを恐れたり県教に睨まれたくないという現実もある。な
  にせ、人事権を持っているからだ。
                        福島県教もそうだ。
  
 いまの子にとって、接ぎあてをすること、それを着ることはしない世の中になっている。敢えて、見せて教育の教材として教えることも必要だ。物を大切に扱う、モノの恩を知ること、感謝することは大人でも難しいことだ。
皇室に嫁がれた紀子様も実践されている。皇室ジャーナリストの高清水有子氏がチャンネル桜の番組の中で言っておられた。紀子様もお会いした時に袖のほころびを直してお召しになられていた。確かに良いものをお召しになっているが、普段はそうやって物を大切にお召しになっている。まさに、「民の竃」の話を皇族となられ受け継いでおられる。無言で我々国民に範を示してをられることを子供に教え話してどこが悪いのか。ほとんどの国民は皇室を支持している。地域の理解を得られないとか、地域の実情に合わないから話さないという校長たちの精神が分からない。
文科省がいう、生きる力・日本人として誇りの持てる話・日本人としての感性を身に付けることに繋がる。

中学校時代、ハンドボールのキーパーをやっていた。中二の時に名古屋市で5本の指に入るキーパーと先生に言われた。その年、全国で1,2,3位を独占してきた。当時のジャージはわるい生地でつくられたものだった。直ぐに膝の処が穴が開き接ぎあてをした。2度あてて、穴が開くからそのまま練習をしてた。当時の漫画は厳しい訓練をしてボロボロになったユニホームで試合をしてかっこよく試合に勝っていた。そういう憧れがあった。時代の移り変わりとともに見た目重視となった。今の子には分からない子も知れない。しかし、話すべきことでもある。中身を重視することが必用であることを。

男も針仕事、料理くらいできるようにしておかないと困る。自主独立。
これも、教育で軽んじられている。協調性重視のあまりに。
難しいから教えないと言うことは、プロ根性がない。如何にして分かり易く教えるかが難しい。それを、放棄している。江戸時代の子供はしっかりとしていた。教育によって。環境が悪化したと言える。
少しずつ変えていく。親が実践することが子を導くことになる。


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