文科省の間違った教育政策・方針

              皇室とともに
 
こんな文科省の教育方針で日本はこれから繁栄できるか、できない。次の3つを会得できれば鬼に金棒だ。
・恩の一文字を分かる
・肚を鍛える
日本人としての感性を身に付ける
これを踏まえたうえで文科省が実践している間違い。を一部明記します。
20年以上も貫いてきたことだそうです。これを改めさせることは容易ではないと言う。が、国民が認識し大きな声を挙げればできる。止められるはずもなかった原発を全機停止させた国民世論。だから、できる。
1章 知識基盤社会が求める人材像
 我が国が科学技術創造立国の実現に向けて世界をリードし、成長し続けるためには、イノベーションを絶え間なく創造できる人材の育成が求められている。
 「知」を巡る国際競争の激化や知識基盤社会の進展等により、産業構造の変化も急速に進んでいる現代においては、多種多様な個々人が力を最大限発揮でき、それらが結集されるチーム力が必要とされている。強いチームは、多様な人材により構成されるものであり、女性や外国人が活躍しやすい組織である。さらに、チームには、チームを目標達成に導くリーダーの存在が不可欠であり、高度な専門的能力かつ広範な知識を持つ博士号取得者に特にその役割が求められている。
これは、結果的にこういう人材が必要だと言っているだけです。その為にどう教育が必要か知っていて書かれてないのでしょう。それは、世界中の数学者が解けなかった難問をわずか数年で解いてしまった岡潔氏という天才的数学者がいました。その秘訣を氏は、俳句が好きで芭蕉奥の細道芭蕉が歩いた通りに歩いた。同じ季節に。「静けさや岩に染み入る蝉の声」という句を詠んだお寺に行って、裏庭で聞いたと。それは蝉の声を聞いたのではなく、シーンとした、岩に染み入っていく静寂の雰囲気を岡氏は体感したのです。岡氏は、そういうものの感性というもので数学を解いていかれた。そこには、日本人の持っている特性が生かされています。 啓発していく教育も含めて、それを許容していく日本人のもっている独特のエゴっていうんでしょうね、感性というものはね、これからもっともっと育てなくちゃいけないし、それを受け入れていく社会というものを構築していかなければいけない。と、「言志」Vol.1P41から石原慎太郎氏は言っています。
文科省がいう、知識基盤社会なる言葉は辞書にもない、
経営学ドラッカーの「今や正規の教育によって得られる知識が、個人の、そして経済活動の中心的な資源となった。今日では、「知識」だけが意味ある資源である。」と指摘している。これを、文科省もあろうことか中央審議会でも採用して教育改善にあたっていることは占領軍教育と言わなくてなんとするか。日本再興はできません。日本独特の感性と精神性を学ぶことが抜けています。明記ください。ここを改善しないと後も改善できません。
 
異文化を知る前に日本国の伝統文化、精神性(皇室の)を学ばなければ比較もできないし良きものを取り入れ発展させることもできません。その上で、下記は問題です。
(多様な人材の活躍促進)
 
 チームは、専門分野や素養・能力の異なるメンバーを集め、多様な視点や発想を取り入れることで、創造的な力をより大きく発揮できる。女性研究者・技術者の活躍促進、また、外国人研究者・教育者や外国人留学生(以下「外国人研究者等」と表記。)の受入れを拡大することは、男女共同参画や国際交流の推進という観点のみならず、人材の多様性を確保する観点からも重要である。
 また、日本人が海外経験を積むことも、多様な人材を育成する上で欠かせない。チームに大きく貢献できる優れた人材となるためには、異文化、異分野の人々との交流を通じて広い視野を育み、素養・能力を向上させることが重要である。しかしながら、近年は日本人の「内向き志向」が進んでいるという指摘もあり、国や大学等は、その解消に向けた施策を積極的に実施すべきである。
ココを見ても、建築で言うところの基礎をいじって変えようとしています。ラップルコンクリート(捨てコン)にあたるところが教育にない。教育改善は、ここに手を付けないのでは永久にできません。安倍政権、下村文科大臣の間にやらねばなりません。今から2030年の改定を見据えて御活動ください。また、グローバル化も世界は否定してきています。なぜ、教育に入っているのですか消去ください。「日本人としての感性を研き、肚を鍛える教育をすることが日本を取り戻す大きな原動力となり日本人が幸せになり世界も幸せに向かう」これを、明記することは至極当然であります。音楽科を通して教育することです。全教科にも言えます。
 
中学校学習指導要領音楽編 改定の経緯の前文間違っています。日本の教育ではなく他国の教育を押し付けているようです。世界と生存をかけて平和な戦いをしていくうえで日本人には、より日本人らしく感性も精神性も磨いていかなければなりません。その為にも、日本の伝統音楽を中心に感性を築く必要があります。その中心的で核をなすものが雅楽であります。日本伝統音楽を学んだうえで、洋楽を学ぶことは違いがはっきりして日本の素晴らしさが自覚できます。よって、日本伝統音楽軽視を反省して改める事です。取り敢えず、学習指導要領前文に雅楽を学ぶことが明記されていたことを復活させることです。そして、本のタイトルです。「雅楽神韻」「雅楽鑑賞」を参考にして先に述べられたことが各学年で理解されるように教科書に記述することを学習指導要領に付け加える事を提案します。教師が教えなくとも生徒が読めば理解し興味が持てる様に工夫されればよいだけです。教育課程においても、重要視して教育されるように改善ください。生徒が演奏しなくてもよいのです。雅楽には、演奏を習う前に唱歌を学びます。これを、教育課程課で小学校教員資格を取るときに必須にすべきです。音楽教師が音楽を教えない小学校が多くあるようですから。少なくとも、体育教師に強引にダンス、柔道を教えさせることには無理があります。六年生が雅楽唱歌を体験することは西洋音楽との練習の仕方等が違うことを学ぶことで西洋音楽にも応用が効きます。
 
 
 
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