フーバー回顧録

 
<歴史・公民>東京塾・第21回研修会】(平成25年8月3日)
<日米歴史検証・第4弾「大東亜戦争問題シリーズ」>
『フーバー回顧録(Freedom Betrayed)の持つ重大な意義
「史実を世界に発信する会」 事務局長 茂木弘道
 
1、    戦争=日本、戦争を起こした(起こす)日本という思い込み
・9条信仰:日本以外の「諸国民」は、公正と信義を有するので戦争を起こすことはないが、「日本」のみは軍を持つと戦争を起こしかねないという「人種差別思想」に基づいているのが日本国憲法であり、第9条がそのエッセンスである。諸国民性善説、日本性悪説という前提でないと成り立たないこの考えがおかしいと思わないという異常思考の根源は、この思い込みである。
・教科書調査官がなぜ「国体」「臣民」はおろか、「立憲君主制」「天皇・国民共同主権説」「天皇権威論」の記述を執拗に拒否したのか?(「公民教科書の検定の攻防」/小山常実/自由社
 非民主的天皇制が戦争を起こした、という牢固とした前提に基づく。
自虐史観、自虐思想の根源もここにある。
・あの戦争の反省の繰り返しも、全てこの前提の上に行われているので、実は何の反省にもなっていない。
<なぜなら>
 
2、    「日本との戦争の全ては、戦争に入りたいという狂人(ルーズベルト)の欲望であった。」(フーバー元大統領) 
I said that the whole Japanese war was a madman’s desire to get into war. He (MacArthur) agreed. (p.833)
絶対の前提(思いこみ)の正反対をアメリカの大統領が言っている!
フーバーが絶対正しいわけではなくとも、少なくとも「日本が戦争を起こした」論は根底から崩れることになる。この重要文書を無視しては、日本の歴史学アメリカの歴史学は「科学」としては成り立ちえない。
 
3、    フーバー大統領(1874-1964)とは 
共和党出身第31代大統領(1929-1933)29年の大恐慌に対応できなかった無策な大統領というイメージが流布されているが、ニュー・ディールの象徴のように言われるフーバー・ダムをみても無策ではなかった。1933年1月に世界経済会議の開催を計画したが、ルーズベルトによって延期されさらに、骨抜きとされた。実はニュー・ディールは実効を上げられなかった。戦争によってはじめてアメリカ景気は回復したというのが真相である。
 第1次大戦後から国際的な人道支援事業を実施。第2次大戦後日本もその恩恵を受けている。
 根っからの自由主義者で、アメリカの戦争参加に反対。30冊以上の著作があり、Hoover Institute on War, Revolution and Peace(現在のHoover Institute)(蔵書2千5百万点)の設立者。
 
4、      Freedom Betrayed:
Herbert Hoover’s Secret History of the Second World War and Its Aftermath 
二十数年をかけて完成。5回以上の修正、加筆、特に資料の追加。
1964年、ようやく出来上がり、出版社に一旦原稿を入れたが、フーバー90歳で死去のため出版されず。強い非難を予想して出版する覚悟であったが、遺族はその決心ができず、フーバー研究所が出版にこぎつけたのは、47年後の2011年であった。(George H. Nashが再編集して出版)
「回想録であると同時に外交史」膨大な資料に裏付けられた「歴史書」 
For Example:
アメリカはlend-lease法によって、ソ連に大量の援助を与えたが、 それを少しも有り難がる態度も見せないことアメリカの駐ソ大使が怒っていることがでてくる。そこにアメリカのソ連援助がいかに膨大だったかの具体的数字が出てきくる。
 総額、16,523,000トン、$10,670,000,000
  トラック:375,000 ジープ:52,000 
戦車(なんと):7,000両 装甲車:6,300 高射砲:8,200
  航空機:14,700機(ゼロ戦の全生産量以上?) (p.451)
       
5、    フーバーのルーズベルト批判:7年間に冒した19回の過ち(p.875-883)
(フーバーは第2次大戦の原因をどう見ていたか)
1)      1933年の世界経済会議:延期の上突如金本位制復帰を撤回→会議の失敗=何も有効策を打ち出せず。
2)      1933年の共産ソ連の承認:共産主義の本質を理解せず、またソ連アメリカで共産主義工作をしないという約束を、たちまち破られる。(コミンテルンソ連ではないという口実で)
3)      1938年ミュンヘン会議。(ミュンヘン会議の結論自体は別として、ヒットラーソ連攻撃に向かうことを妨げようとうごいた)
4)      1939年3月の英―仏によるポーランドルーマニアの独立保障を背後からそそのかしたことによって、ヒットラーソ連攻撃政策をソ連・ドイツによるポーランド及びバルト分割策に向かわせたこと。
5)      1941年の冬、数週間前の選挙公約を破って、ドイツ、日本に対してundeclared war を開始したこと。
6)      Lend-Lease法の数週間前にヒットラーソ連攻撃情報をつかんでいた。イギリスが安全になるのだから、この法を単にイギリスに武器・経済支援できる方にすべきであった。大統領に実質的な戦争権限を与え、ドイツに敵対する法にすべきではなかった。
7)      1941年6月にヒットラーソ連攻撃を開始した時に、ソ連に対してアメリカの同盟と支援を暗黙裡に認めたことは、米国史上最大の誤りである。この攻撃によって明らかにイギリスの危機は去っていたのである。
8)      1941年7月日本に対する経済制裁(在米資産の全面凍結)
これはundeclared warであり、明らかに戦争挑発行為であった。  
9)      1941年9月近衛の和平提案を拒否したこと。
10)1941年11月、日本の最後の譲歩案(3カ月の凍結案=乙案)の拒否。(ハル・ノートで応えた)
11)1943年1月カサブランカで「無条件降伏」を、アメリカの軍関係者なし、チャーチルの助言をも聞かずに、単にマスコミ受けを狙って打ち出したこと。
12)1943年10月モスクワ会議でバルト三国、東フィンランド、東ポーランドソ連に売り渡したこと。
13)1943年12月のテヘラン会議で、さらに7カ国のソ連の衛星国を認めたこと。
14)1945年2月のヤルタ会議での密約。12の独立国をソ連支配下に置くことを承認。ソ連参戦の対価は中国にも及ぶ。
15)1945年5月―7月にかけて日本から和平の提案を拒絶したこと。(トルーマン
16)ポツダム。(ヤルタ協定をさらにソ連に有利に、日本への無条件降伏通告)(トルーマン
17)原爆投下(トルーマン
18)毛沢東に中国を与えたこと
19)モスコー・テヘラン・ヤルタ・ポツダムの会議、中国政策と共産主義者の毒牙を強化させ続け、ついには悲惨な朝鮮戦争をもたらし、冷戦による北太平条約諸国とアメリカの敗北の危機をもたらした。
    
6、     なぜルーズベルトは戦争を欲したのか?
 ・ニュー・ディールの失敗により、1千万人の失業者に仕事をもたら
すことができなかった、このスキャンダルを覆い隠すため。(多くの非党派的なジャーナリストの見解として紹介)(p.857)
・大衆の気持をニュー・ディル失敗の現実からそらすために国際的なパワーポリティックスに巻き込み、絶えず恐怖と危機を煽った。これはまた、自己顕示欲と自己の野望に訴えるものでもあった。 (p.857)
ルーズベルトの知的不誠実性(intellectual dishonesty
「あなたの息子は決して戦場には送らない」と何度も何度も約束する一方、戦争を起こす政策を一貫して遂行した。これは完全に証明できることである。(p.858)
 
7、    フーバーはなぜ対日戦を支持したのか?
1)    しかしながら、一旦開戦したからには道は一つ、戦いに勝つことである。(p.848)
2)    フーバーもアメリカの常識に冒されていた。
・日本の中国侵略はあらゆる道義、国際条約に違反していたことは明らかである。1932年に私が大統領としてこの問題に対処した後、軍国主義者は彼らの考え方を日本のリーダーの下の「アジア人のアジア」圏という考えに拡大していった。(p.823-4)
蒋介石政権を自由中国とみなす一方で、蒋介石を民主主義のために戦う民主主義国というのはデマゴギーだともいっている。蒋介石軍閥の一つに過ぎず、唯の一度も選挙など行っていない。その蒋介石政権に過大な支援、介入を行うことも批判している。(p.818)
3)    であるなら選挙によって選ばれる議会を持つ日本を「独裁国」、中国を侵略している軍国主義ときめ付けるのでなく、もっと事実を調べるべきであった。残念ながら彼はほとんど日本に来たことが無かった。
4)    韓国には、若い時鉱山技術者としての仕事で滞在していたときがあり、実際に観察したためか、かなりフェアーな見方をしている。
 盗賊や山賊がはびこっていた。日本の30年間の支配下で韓国人の生活は革命的な変化を遂げた。この最も見込みのない人的資源からスタートして、日本は秩序を確立し、港湾、鉄道、道路、通信施設、公共建物、大きく改善された住宅を建設した。彼らは衛生を確立、進んだ農業方法を教えた。・・・教育制度
を確立。くすんで汚れた衣服は清潔で輝く色の衣服に変わった。」(p.737-8)
5)    1935年ころに満州を訪ねていれば、彼の満洲観、中国観、日本観は大きく変化していたことであろう。残念なことである。
 
8、    共産主義批判 
共産主義批判が本書の主要テーマの一つである。
第1部第1節 巨大な知的、道徳的な災禍が自由人に迫る
ではじまり、ソ連が大戦の間にいかに巧みにその勢力を伸ばし、自己の支配下に組み入れていったか、ルーズベルト政権がいかにこれに対する防御が甘かったのか、さらにいえば、それを助けてきたのかを詳細に追跡している。
アメリカ政府、及び言論、学問の世界に浸透した主要共産主義エージェント(と証明された人物)がリストアップされている。
共産主義批判の書としても第1級の書である。
 
9、    歴史の書き換えを迫る「問題の書」 
・日本が戦争を起こした、という日本の歴史学会公認=日本政府公認(文科省教科書検定基準)の大重要テーゼの根本的な見直しをこの『フーバー回顧録』は迫るものである。
・それはアメリカの公認史観―東京裁判史観でもある―あの戦争は自由と民主主義と独裁の戦い、アメリカの正義の戦いという歴史観の見直しも迫るものである。
共産主義が崩壊したにもかかわらず、アメリカ正義の戦争論の重要な柱である、共産主義進歩主義、民主主義という、おかしな、しかし強固な前提が今なお見直しがされないままになっている。共産中国がたとえば江沢民真珠湾に出掛けて、アメリカと盟友として戦った「太平洋戦争」と図々しく言えるのもこのためである。
・こうした、過去の負の遺物を清算する知的作業を強力に支援してくれる、『フーバー回顧録』は、日本にとって貴重な書であるとともに、世界の歴史学にとって重要資料である。
 
以上