屋良朝苗文教部長の挨拶

               皇室とともに
 
日本会議 国民運動関連情報」 平成25年4月11日(木)通巻第987号
日本会議事務総局 担当 鈴木考将 アドレス me@nipponkaigi.org
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 政府が4月28日に開催を予定している「主権回復の日」式典について、沖縄県の仲井
眞知事は、高良倉吉副知事を代理出席させることを決め政府に10日付で回答しました。

 沖縄県議会は3月29日、式典に反対する抗議決議を、退場した自民党会派を除く全会
一致で可決し、那覇市糸満市などの市町村議会でも意見書や抗議決議を可決しており、
県議会野党・中立系会派では28日に式典に抗議する集会を宜野湾市で開くことを予定し
ています。

 米軍占領下、のちに初の公選首席(復帰後知事)として復帰に尽力することになる屋良
朝苗氏が、サンフランシスコ講和条約締結当時、教師会の文教部長として挨拶した中に、
講和発効への当時の真情がつづられていますので、ご紹介いたします。(文責:村主)

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4・28式典 仲井真知事不参加
 県は10日、政府がサンフランシスコ講和条約が発効した4月28日を「主権回復の日
」として開催する「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」に仲井真弘多知事は出席せ
ず、高良倉吉副知事が代理で出席すると発表した。政府は全国の都道府県知事に招待状を
送付し、10日までに出席の可否を示すよう求めていた。県は同日、副知事の出席を文書
で伝えた。
 
 仲井真知事は同日発表したコメントで副知事の出席を明らかにすると同時に「式典につ
いて県民にはさまざまな意見があることを、政府におかれてはご理解いただきたいと考え
ている」とし、沖縄にとっては日本の施政権から切り離された4月28日を「屈辱の日」
とする意見があることへの配慮を政府に求めた。

 高良副知事は同日、県庁で記者団に対し、知事の不参加について「県民感情、思いに配
慮されたんだと思う」と説明。自らの出席については「4・28以降の沖縄が経験した戦
後史と、日本の一員として沖縄もこれから歩んでいこうという二つの論点がある。二つを
どううまく自分の中で整理し式典に参加するかを考える」と述べた。

 副知事も出席しない「欠席」としなかった理由については「天皇皇后両陛下が出席され
、全国の都道府県も参加する。そこに沖縄県の席が空いているのは日本の1県としてあり
得ないと思う」とした。

 仲井真知事の式典出席をめぐっては、沖縄タイムスが実施した県内全41市町村の首長
に対するアンケートで、過半数の26人が「出席すべきでない」と回答。3日に来県した
菅義偉官房長官も知事との会談では出席を要請せず、会談後、記者団に「知事のご判断に
委ねるのが政府の立場だ」と語っていた。
(「沖縄タイムス」4月11日9時44分配信)
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屋良朝苗文教部長の挨拶
(昭和二十七年一月十九日第三回全島校長会開会挨拶)

 終戦六年にしても難航を続けてきた平和会議もここに和解と信頼の精神を基調として歴
史上類例を見ない寛大な条約が締結されました。各国の批准が終われば我等の祖国日本が
完全に独立性を回復して新しい国家理念、平和的文化国家として新発足せんとして居りま
す。誠に羨望にたえません。我々は祖国日本のために満腔の祝意を表したいと思いますが
、一面我々の淋しさは如何ともし難いのであります。
 
 戦争と沖縄の因縁は余りに痛ましい。かつては阿修羅の戦場となり、果てしない犠牲を
払わされた。戦破れて占領行政下におかれて、猫額大の地域で生活しなければならない。
更に今後は如何なる行政形態下におかれるか確乎たる見通しもつかない。これまで地理的
孤島苦に喘いだ我々は更に歴史的孤島苦の杯までなめさせられるのでありましょうか。
 
 戦争に負けた我々はアメリカの寛大な庇護と恩恵に浴して過去六年を過ごしては来たが
やはり平和会議に一縷の望みをかけて居りました。併しその願望はかなえられず、主権と
行政は別途におかれ奇型的な生活を当分続けなければなりません。
 
 平和会議及び其の他の機会に明らかにされた事は我等の主権は日本に残存し、やがて国
際情勢が安定すれば我等の願望はかなえられて祖国日本に復帰することが出来るというこ
とであります。この事は我々にいろいろの示唆を与えるもので、我々の教育方針も教育的
施策も日本復帰を前提として考えられねばならないということになります。
 
 沖縄の現在は一時的な仮の相であって天意天道に即する安定永遠の相は近い将来に我々
の前に現れるのであります。一方我々の教育は一時的目前的なものではなく、将来につな
がるもの故に必ず将来からの規制を受けねばなりません。

 …而して我々の若い世代に日本人的資質個性を十分に発揮せしめつつ世界文化へ貢献し
得る様、教育を進め悔いを千載に残さない様にしなければならないと信じるものでありま
す。ここに私は教育者の不退転の決意と信念を要請するものです。」
(奥平一「戦後沖縄教育運動史」ボーダーインクより)
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