【第188回】『竹山道雄と昭和の時代』を世に出して

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【第188回】『竹山道雄と昭和の時代』を世に出して

平川祐弘 / 2013.04.08 (月)

国基研理事・東大名誉教授 平川祐弘
 「ビルマの竪琴」の竹山道雄がいま「昭和の時代」の竹山道雄になった、と文芸評論家の高橋英夫が手紙をよこした。私が『竹山道雄と昭和の時代』と題した史伝を3月に藤原書店から出したのは、竹山道雄(1903~1984)は単なる文士や独文学の専門家ではなく、知識人として気骨のある人生を送った戦後論壇の雄だからである。
 ●国家基本問題を考えた竹山
 三十代の竹山は1936(昭和11)年の二・二六事件の後に軍部批判の文章を書く反軍国主義者であり、1940(昭和15)年にナチス・ドイツの非人間性を『思想』誌上で弾劾した第一高等学校教授であった。竹山の自由主義者としての真骨頂は、昭和十年代に反全体主義の立場を貫いたことの正しさを確信し、戦後の論壇で孤立を恐れず文筆で戦ったことにある。安保騒動勃発直前の1957年、日本文化フォーラムを設立、雑誌『自由』を発行したことは、当時の竹山が、今の言葉でいえば国家基本問題を考え、日本人に進むべき道を示さねばならぬと考えたからであろう。
 そんな「危険な思想家」(朝日新聞が貼ったレッテル)の伝記を私ごときが書くのはいかがなものかと躊躇もしたが、身内の人(家内は竹山の長女)ならではの視点、細部にかかわる一次資料、現場にいあわせた者の回想を交えたことが、よかれあしかれ本書に臨場感を与えたのではないかと私は思っている。
 ●昭和思想史の地図にいま等高線が張られた
 外国人の読者からも手紙を頂いた。それを引く方が『竹山道雄と昭和の時代』の紹介として、よりふさわしいだろう。日本語原文のまま引かせていただく。
 「この伝記は単なる故人顕彰でなく、稀に見る、卓越したリベラリスト思想家の生涯を追うことで、戦前から終戦、戦後にかけて幾たびも変転した昭和史の幾つかの断面を鮮烈に切り取り、しかも世界史の広い視野に置いて考察したユニークな歴史書でもあります。五・一五事件をめぐる竹山と伯父岡田良平との会話について、以前『昭和の精神史』を読んだ時も感銘を覚えましたが、今回「独逸・新しき中世?」「自由」「妄想とその犠牲」などの諸章を読んで、竹山先生の卓識と洞察についてその思いを新たにしています。……戦前、戦後を通して操守を守り抜いた竹山先生という礎石を据えることによって、等高線が張られた昭和思想史の地図がくっきりと浮かび上がってくるような気がしました。そして特定のイデオロギーからの「保守・革新」や「左翼・右翼」の如き図式的区分は思想史、ひいては歴史研究においては如何に無意味なことか、あらためて思い知らされました。……もう一つ感じたことは、学統というか、一高以来の駒場の地の教養主義をめぐる思索です。安倍能成校長以下一高教授陣や、竹山先生の周りに集まる若き同僚、弟子の群像をスケッチした部分は本書のハイライトの一つに違いない。戦時下においても、リベラリズムを固守した一高の反骨精神は旧制高校のエリート教育の良質な部分―独立不羈(き)、学問自由、ノブレス・オブリージュと密接不可分のように思われます」
 こんな感想を頂戴して著者冥利につきる。竹山は一高で戦前戦中、外国人生徒も教えた。私も東大にいちはやく外人学生を迎えたが、北京や台北でも『ビルマの竪琴』なども教えた。そんな人間的な絆を私も家内もいつまでも大切にしたく思っている。(了)
 
国基研