日本の法律は誰が作っているのか。

            皇室とともに
 
リレーエッセイ
日本の法律は
誰が作っているのか
国基研評議員・弁護士 林 いづみ
●護るべき憲法
 ・「大日本帝国憲法」は、フラ
ンス人法律学ボアソナードと、
ドイツ・ベルリン大学法学部教授
グナイストの二人が、法制局長官
井上毅を助けて成案されたが、そ
の作成と制定の主導権は日本国に
あり、「和魂洋才」的な性格をもっ
ていた。これに対して、「日本国
憲法」の作成と制定の主導権は完
全にGHQ(連合国最高司令官
司令部)にあり、占領下の「あっ
て無きが如き」日本政府にはな
かった。
 ・一九五一年九月八日、日本は、
サンフランシスコ講和条約(平和
条約)に調印して独立したが、以
後も六十年以上、占領軍が作った
憲法を一字一句変えていない。な
ぜだろうか。その一因は、多くの
日本人が、日本国憲法がどんな状
況でどのように起案されたのか、
制定の客観的・具体的事実を知
らないことにあるかもしれない。
日本人は、平和憲法の素晴らしさ
を教わるが、占領軍が作った事実
は教わらない。現行憲法を教育さ
れた者にとって、憲法は本来的に
「護るべきもの」だ。しかし、以
下のような現行憲法制定の具体
的経緯を知れば、護るべき憲法
自主的に制定し直すことは、独立
国家として当然かつ必要な「けじ
め」であると考えざるを得ないだ
ろう。
●現行憲法制定の具体的経緯
 ・一九四五年三月十日の東京大
空襲による市民の死者、負傷者、
被災者は百数十万人に及び、八月
十五日までのほぼ連日、全国で無
差別空襲が続いた。八月六日広島
原爆投下、八日ソ連が中立条約を
破って対日参戦、九日長崎原爆投
下、十五日ポツダム宣言受諾。九
月二日、焦土の首都東京から見
える東京湾に停泊した米国戦艦ミ
ズーリ号上で、日本は連合国最高
司令官の要求に全て従う旨の降伏
文書に調印した。
 ・占領下日本は、廃墟の中で餓
死と戦い、言論・思想・結社の自
由もなかった。GHQは、新聞、
雑誌、書籍の検閲はおろか、個人
の信書まで年間何千万通の規模
で秘密裏に開封・翻訳して徹底的
な検閲と言論統制を行い、戦犯の
逮捕、軍事法廷の宣告と処刑を進
めた。一九四六年一月四日に公職
追放令(数万人が対象)を、一月
二十二日に「極東国際軍事裁判所」
条例を布告して、軍、政界の幹部
を続々と巣鴨刑務所に収容した。
二月には主な出版社へ戦争責任処
罰を通告し、三月にかけて国会議
員の三百数十名及び現職閣僚六名
を含む者を公職追放した。四月十
日に戦後初の総選挙で勝利した鳩
山一郎・自由党総裁も、組閣直前
にGHQに公職追放され、代わり
吉田茂が首相に就任した。
 ・かかる占領下の恐怖と混乱の
状況で、二月十三日、GHQ民政
局が起案したいわゆる「マッカー
サー草案」(英文)が日本側に渡
された。「マッカーサー草案」は
米国政府の想定外であり、民政局
スタッフには日本法はおろか憲法
の専門家もいなかった。
 ・二月二十六日、草案の和訳が
閣僚に示され、中二日で三月一日
までに極秘裏に法制局第一部長
佐藤達夫が最小限の「翻案」(和
文)を作成し、二日に和文のま
まGHQ に提出した。GHQ は
四日から佐藤氏を入れて英訳・修
正し、五日午前四時に、ほぼ元の
マッカーサー草案通りの英文の
日本国憲法が完成した。翌六日に
その和訳(口語体)もでき、極東
委員会、米政府及び日本政府に提
出された。これこそが、吉田茂
相が、十一月三日に公布し、今日
まで我々が護ってきた「日本国憲
法」だ。
内閣法制局の役割
 ところで、大日本帝国憲法も現
憲法も、その制定に「法制局」
が関与している。そして、内閣
法制局は今も連綿と、各府省庁作
成の全ての法令の審査を行い、内
閣の法令解釈に決定的な影響力を
持っている。これも日本人が知っ
ておくべき事実だ。                            国基研
                   http://jinf.jp/