安倍総裁 改憲の必要性語る

 
自民党安倍総裁が「文芸春秋」に寄稿した「新しい国へ」の中で、ダッカでのハイジャ
ック事件を契機として、日本国憲法の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して…」
の理念について、問題提起しています。

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 憲法について、そして戦後レジームについて私がいつも思い起こすのは、一九七七年、
私が大学を卒業した年の出来事です。その年の九月、バングラデシュにおいて日航機がハ
イジャックされました。時の政府は、ハイジャック犯の要求に従い、超法規的措置により
服役囚の釈放に応じました。テロリストに屈し、テロリストを野に放ったと日本政府は世
界中から強い非難を浴びました。今から時の政府を非難することはたやすい。しかし、も
し私が総理だったとして他の手段をとれたか。

 日本国憲法の前文にはこうあります。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意
した」

 実に奇妙な一文です。国民の安全を守るという国家として最も重要な使命を、何と「平
和を愛する」諸外国の国民を信頼するという形で丸投げしてしまっている。平和を愛する
諸国民が日本人に危害を加えることは最初から想定されていないから、人質を救出しよう
にも、自衛隊や警察には、その能力がなかった。日本人が日本人のために命をかけないの
ですから、地元のバングラデシュの人に替りにやっくれと頼んでもやってくれるはずがな
かった。その約半年後、ドイツのルフトハンザ機がPFLP(パレスチナ解放人民戦線
にハイジャックされた。しかし時の西ドイツ政府は、GSG-9という特殊部隊を送り、
テロリストを排除し、人質を全員救出し、世界に賞賛されました。同じ敗戦国でありなが
ら、どこが違ったのか。それはドイツが憲法を改正し、それを可能としたのに対し、日本
憲法に指一本触れることができなかったという違いです。

 ダッカ事件の起きた七七年の九月には、石川県において久米裕さんが北朝鮮に拉致され
ています。警察当局は、実行犯を逮捕し、北朝鮮の工作機関が拉致に関与していることを
つかみながら、「平和を愛する諸国民」との対立を恐れたのか、実行犯の一人を釈放した
。その結果、どうなったのか。二か月後の十一月、新潟県の海岸から横田めぐみさんが拉
致されました。もし、あのとき日本政府が北朝鮮と対峙する道を選んでいれば、今でもめ
ぐみさんは日本で暮らしていたのではなかったか。

 結局、日本国憲法に象徴される、日本の戦後体制は十三歳の少女の人生を守ることがで
きなかったのであります。そして、今もその課題は私たちに残されています。
(「文芸春秋」新年特別号)