拉致を「人気取り」に利用するな 西岡力氏

            皇室とともに
 

拉致を「人気取り」に利用するな 西岡力

 拉致を「人気取り」に利用するな
東京基督教大学教授・西岡力    
 
 モンゴルの首都ウランバートルで11月15、16の両日、4年ぶりの日朝政府間協議が開かれた。日本側代表の杉山晋輔外務省アジア局長は、最重要課題として日本人拉致問題を提起した。北朝鮮側代表の宋日昊大使は、拉致問題は解決済みで協議は拒否するとの従来の立場を変え、日本側主張を聞いていたものの、立場が違うが継続協議にしようとするにとどまり、具体的な解決策は示さなかった。
 ≪横田夫妻訪朝話は北の罠だ≫
 福田康夫政権下の4年前に、北朝鮮の方から拉致問題での協議を求めてきて、調査委員会の立ち上げまで提案してきたことと比べると、まだ消極的だとはいえ、拉致問題を避けて他の問題なら協議できるとの従来の立場からは半歩前進したといえるかもしれない。
 問題は、公式協議の裏側で野田佳彦首相の主導する非公式協議が進んでいるという情報が多数、流れていたことだ。公式協議初日の15日、日本の主要メディアは、野田政権が水面下で北朝鮮横田めぐみさんの両親の北朝鮮訪問を推進しようとしていると報じた。
 両親の横田滋さん、早紀江さん夫妻による訪朝と孫との面会は、北朝鮮が「めぐみさん死亡」という虚構を日本に宣伝するために考えた罠(わな)だった。横田さん夫妻は15日、日本政府からは事前に全く打診がなかったことと、めぐみさんたちの救出ができていない現段階で訪朝する意思はないことを明言し、その計画を改めて退けた。
 ≪「合同調査委」も時間稼ぎ≫
 杉山局長が帰国後、拉致被害者の家族会に今回の協議内容を報告した21日夜、今度は、野田首相が10月下旬から11月にかけて、政権中枢に近い関係者を第三国で北朝鮮接触させ、被害者の安否に関する合同調査委員会を作ることを提案した、と報じられた。合同調査委員会も、小泉純一郎政権時代に北朝鮮側が提案してきてわが国が拒否した罠の一つである。
 拉致を行ったのは北朝鮮で、現在、被害者がどのような状況にあるか知っているのは北朝鮮だ。わが国は被害者であり、拉致の全貌を知る立場にない。合同調査は、北朝鮮の時間稼ぎと責任転嫁に使われるだけで、被害者救出の障害になるというのが当時、わが国がはねつけた理由だ。野田政権が提案したのであれば、許し難い。
 野田政権は2つの報道とも事実でないと否定したものの、いずれも政府関係者を情報源と記しており、完全に無視することはできない嫌な感じを関係者に残した。
 10月26日付の本欄で筆者は次のように警告している。〈野田首相はしかし、松原(仁)氏(拉致問題担当相)を外した別ルートで北朝鮮の統一戦線部と接触したという。拉致を棚上げにし戦没者遺骨問題などで日本の支援や制裁解除を狙う謀略機関である。…圧力をかけつつ、拉致被害者の帰還などを実現させた場合のみ、支援や制裁解除で応じる「行動対行動」を貫くことが対北交渉の鉄則だ。…人気取りの次元で拉致問題を利用するのなら、野田政権は拉致を軽視したという批判のみならず、国民の命と国の主権を蔑(ないがし)ろにしたとの非難をも浴びるだろう〉と。
 10月初めに、筆者が入手した北朝鮮内部からの情報はこうだ。北朝鮮にとって日本からカネを取ることが国家的課題となっている。北朝鮮権力の中枢部は、金正恩政権の安定のためには住民の食糧問題の解決が不可欠と考えており、そのために日本からの過去清算資金が欲しくてたまらない。北朝鮮は、内実はというと、焦っているのだが、日本がこの問題で焦るように持っていかなければならないと考えている。野田政権の間に、次期政権を縛る約束を取っておいて、次期政権との協議を有利に導くために協議を始めたという。
 ≪日本は国家的意思示し続けよ≫
 筆者は、野田政権関係者が11月初め、東南アジア某国で北朝鮮統一戦線部幹部らと接触したとの未確認情報を入手した。総選挙前に北朝鮮拉致被害者の再調査を約束するのと引き替えに、日本側が朝鮮総連幹部の訪朝許容や対北貿易停止の一部解除、遺骨収拾などを名目に現金支援を行うといった具体的な提案をしたとされる。
 北朝鮮権力中枢では、横田めぐみさん、田口八重子さんら多くの秘密を知っている被害者を帰国させなければ、日本は絶対に納得しないという現実を理解しているグループと、一部の被害者さえ帰国させれば日本は黙ると唱えているグループの対立があるという。
 だからこそ、わが国では官民挙げて、被害者全員が帰ってこない限り、対北制裁緩和はしないし、対北支援もしないという国家意思を示し続けなければならない。
 野田首相が、そうではなく、拉致という国家の主権と国民の人権に直接かかわる問題を、自らの支持率向上の手段にするという、禁じ手を使おうとしているのであれば、もってのほかである。今後の交渉は、衆院選挙後に誕生する政権に任せて、選挙前の再協議や水面下での譲歩をすべきでない。
 主権にかかわる問題を選挙に利用しようとするのは売国にも似た行為であると釘を刺しておく。(にしおか つとむ)
 
11月27日付産経新聞朝刊「正論」
 
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