「連携、連帯」でいいじゃないか 遠藤浩一

「連携、連帯」でいいじゃないか 遠藤浩一

  「連携、連帯」でいいじゃないか
 評論家、拓殖大学大学院教授・遠藤浩一  
  
「まず連携、連帯する。連合になるかはわからない」
 東京都知事辞任と新党結成を表明した石原慎太郎氏は、橋下徹大阪市長率いる日本維新の会など他の小政党との関係について、当初、こう述べていた。
≪「第三極連合」の行方は?≫
 なかなか味わい深い言い回しだと筆者は感心したのだが、大半の新聞は、前半の「連携、連帯」だけを取り上げて、後半の「わからない」は無視した。石原氏の「わからない」とか「ケ・セラ・セラ(なるようになる)」といったセリフはしばしば煙幕に使われてきたし、最近の同氏は第三極の結集を明言しているのだから、この手の韜晦(とうかい)は放っておいた方がいいと各紙、判断したのかもしれない。
 「連携、連帯」とは、それぞれの政党が自主性を維持しつつ、選挙協力や選挙区調整などを通じて比較的ゆるやかな協力関係を進めることである。ここで政策の完全一致を云々(うんぬん)するのは野暮(やぼ)である。
 これに対して「連合」は統一に向けた強固な紐帯(ちゅうたい)の構築なので、理念や政策の一致が必須となる。そこではもちろん、「しっかりした議論」(石原氏)が求められるし、多くから指摘されるように、政策の一致をみないまま結集をはかったところで、野合(嫌な言葉だ)との誹(そし)りはまぬがれない。
 問題は、石原氏率いる保守新党が、(1)ゆるやかな連携・連帯(2)第三極としての強固な結集-のいずれをめざすべきか、である。それぞれ、一長一短がある。
 一番目のゆるやかな連携・連帯の場合、各党の理念・政策上の独自性はある程度担保される。平沼赳夫たちあがれ日本代表の「西は橋下、東は石原で棲み分けを」との提案には、こうした含みがあるのだろう。
≪ダイナミズム回復には意義≫ とはいえ、組織の脆弱(ぜいじゃく)な小党同士がゆるやかな連携をはかったところで選挙協力など画に描いた餅、いざ選挙になれば弾き飛ばされかねない。“橋下維新”も支持率が伸び悩み単独では勝負が難しくなってきた。2年前の参院選たちあがれ日本が苦戦した事実を教訓とするならば、なるほど、強固な連合をめざすにしくはない。
 そこで、二番目の「第三極の結集」ということになるわけである。石原氏と橋下氏が組んで新たな政党を結成すれば、この二枚看板の威力は侮れない。
 安倍晋三新総裁の下、政権奪還をめざす自民党は、保守票の分散をいかにふせぐかが課題となる。次の選挙で苦戦が予想される民主党の場合、もっと深刻で、渡りに船と乗り換えようとする連中を踏みとどまらせるのに苦心することとなろう。
 こうした動きが政界再編へのうねりとなる可能性も否定できない。石原氏の「いくら自民党が頑張っても過半数は取れない。公明党はどうでもいい。自民党を揺さぶる第三極をつくることだ」(30日)との発言は、総選挙後の再編を意識したものと思われる。政治にダイナミズムを回復させるとの観点に立つならば、「第三極結集」にはそれなりの意義がある。
 しかし、「小異を捨てて大同につく」といっても、大事・小事の区分け自体に価値観がかかわってくるから、そう簡単な話ではない。「たちあがれ」の内部には、維新との連携に懐疑的な声が多いというし、橋下氏も石原氏個人とはともかく、新党との連携については「難しい。たちあがれ日本のメンバーとは感覚的にも世代的にも違う」(31日)と、牽制(けんせい)とも諦めともつかぬ発言をしている。
≪石原、橋下両氏の妥協難しく≫
 「まずは政策の一致」と強調する橋下氏だが、一致させるために自ら妥協するそぶりは見せない。妥協しない(らしい)ことを売り物にしてきた同氏にとって、「価値観や政策の一致」とは「自己への恭順」を意味するようだ。
 では石原氏が、例えば原発などの重要政策で橋下氏に歩み寄ることはあり得るか。これも考えにくい。小党連合の方便として脱原発スローガンに相乗りした瞬間に、石原氏が築いてきたマッチョな指導者像は崩壊する。要するに、理念や政策の中身というより、やんちゃなキャラクターで勝負してきた両氏であるからこそ、歩み寄りが難しいのである。ここに、第三極結集最大の困難がある。
 そもそもいま、理念・政策の不一致を無理やり糊塗(こと)してまで「第三極」を構成することを保守系有権者は望んでいるのだろうか? 強い個性を売り物にする指導者が並び立つのは難しい。安倍自民党過半数獲得は微妙かもしれないが、さりとて選挙互助会の正体を顕(あら)わにした「第三極」が大幅に伸びるとも思われない。むしろ石原新党出現の功績は、保守票の受け皿として、維新の会を“one of them”にしたことと見るべきである。
 石原新党が真に保守勢力再構築の要石になろうというのなら、性急な「連合」はむしろ有害、当面は「連携、連帯」で十分ではないか。自らの主張を愚直に打ち出すところにこそ、石原氏及び新党の魅力があるのだと思う。(えんどう こういち)
11月6日付産経新聞朝刊「正論」
国基研