「二院制」見直す改憲案の審議を 西修氏

「二院制」見直す改憲案の審議を 西修

  「二院制」見直す改憲案の審議を
 駒沢大学名誉教授・西修  
  
 10月17日、最高裁判所大法廷は、平成22年7月に行われた参議院選挙で、選挙区間の投票の価値が最大で1対5に開いた結果について、「違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態に至っていたというほかはない」として、「違憲状態」との判決を下した。
 ≪「違憲状態」は国会の怠慢≫
 確かに、鳥取県では15万8000票余りで当選できたのに対し、神奈川県では70万票近くを獲得したにもかかわらず落選したのは、合理的とはいえない。このような非合理性を解消するために、先の通常国会4増4減案が提出されたが、継続審議とされた。しかし、4増4減案が成立しても、格差は4・75倍にしか縮まらず、抜本的な解決にはなりえない。
 昨年3月23日、同じく最高裁大法廷は、21年8月に実施された衆議院選挙で生じた1対2・30の格差についても、「違憲状態」にあったとの判決を下している。現在、臨時国会で0増5減案の提出が検討されているが、国会運営の駆け引きと与野党の思惑が交錯し、頓挫している。
 憲法が定める「法の下の平等」は、基本的には「投票価値の平等」をも求めていると解される。国会が当面の課題として、「違憲状態」とされている選挙区の定数を見直すべきは、当然である。最高裁は、度重なる「違憲状態」判決に前向きに対応しない国会に対し、将来何らの方策もとらない場合、「違憲無効」の判断もありうることを示唆している。国会の怠慢が許される状況ではない。
 ≪参院は「衆院と重複する機関」≫
 しかしながら、私は両院における「投票の価値の平等」を整えるために数合わせをするだけでは、はなはだ不十分だと考える。そもそも、なぜ衆議院参議院がほぼ同じ選挙制度を採用しなければならないのか。こうした選挙制度を存続させる限り、参議院の政党本位は固定し、党利党略が働くシステムを助長するだけとなろう。
 もともと、日本国憲法の原案たる連合国軍総司令部GHQ)案は一院制だった。それが日本側の要求で二院制を採用するに至ったのだが、その際、帝国議会で、「(参議院が)衆議院と重複する機関となり終ることは、その存在意義を没却するものである。政府は、須くこの点に留意し、参議院の構成については、努めて社会各部門各職域の経験知識ある者がその議員となるよう考慮すべきである」との附帯決議がなされた。
 また、第一回の参議院選挙に当選した作家の山本有三は「参議院は、衆議院と一緒になって政争をこととするようであっては、第二院としての存在価値はなくなると思う」と述べている。いずれも参議院のあり方としては、至当な判断であるといえよう。現在は、参議院が完全に「衆議院と重複する機関となり終え」、「政争をこととする」院になっている。
 このような状況に鑑(かんが)み、今年4月27日には、衆参両議院を統合して一院制を創設する「憲法改正原案」が、130人の衆議院議員による賛同を得て衆議院議長に提出された。22年5月に憲法改正国民投票法が施行されて初めての試みである。しかし、法律上の要件が満たされているにもかかわらず、憲法審査会に付託されることなく、6カ月以上、棚上げ状態になっている。
 なぜなのか。国民に十分な説明はなされていない。憲法審査会では、国民に公開されるべきであるという趣旨から、公聴会の開催が予定されている。衆議院憲法審査会を開き、公聴会などを通じて、一院制の是非、二院制のあり方を広く議論するのが本筋である。
 ≪ねじれで参院に生殺与奪権≫
 現行憲法の重大欠陥として、法律案の議決手続きがある。法律案が衆議院で可決され、参議院で否決されたときは、衆議院で出席議員の3分の2以上の多数で再議決しなければ、法律にならないとされている。それゆえ、野党が参議院過半数議席を確保するとともに、衆議院でも3分の1を超す議席を得ていれば、対決法案は簡単に暗礁に乗り上げてしまう。
 予算の議決や条約の承認、内閣総理大臣指名の議決については、両院で意見を異にしたときは、最終的に衆議院の議決が国会の議決とされており、法律案の議決手続きと整合性がとれていない。それゆえ、予算は国会で可決されたにもかかわらず、それを執行するための予算関連法案の通過は難航するという変則的事態が生じる。
 国会の「ねじれ現象」の常態化に伴い、本来、衆議院の抑制・補完機関として設けられた参議院が生殺与奪権を握る、いびつな憲法構造が浮き彫りになっている。衆議院での再議決要件を、現行の「3分の2以上」から「過半数」に改めることが求められる。
 明日3日は、日本国憲法が公布されてから66周年に当たる。上記の最高裁判決を受けて、両院の憲法審査会は、二院制のあり方にまで踏み込んで討議すべきであるが、怠慢を決め込み、休眠状態が続いている。主権者たる国民として、あるべき両院関係を考えてみようではないか。(にし おさむ)
11月2日付産経新聞朝刊「正論」
 
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