生誕百年、福田つねありが放つ光彩 遠藤浩一氏

生誕百年、福田恆存が放つ光彩 遠藤浩一

生誕百年、福田恆存が放つ光彩
 拓殖大学大学院教授・遠藤浩一 
 今年は「大正百年」にあたる。
 百年前(1912年)の7月30日に明治天皇崩御されると、即日、践祚(せんそ)・改元され、ほぼひと月後の8月25日に、戦後を代表する知識人の一人、福田恆存(つねあり)が生まれている。
 ≪変わり目の年に生を受けて≫
 明治から大正へと御代がわりしたそのときに、近代日本の宿命と苦悩について問い続けた福田が生を受けたことの意味は、決して小さくないと思う。
 戦後の混迷の根は、大正時代にすでに張りめぐらされていたとよくいわれる。政治の主役は藩閥官僚から政党政治家へと移っていったものの、政党政治が十全に機能したとはいえなかった。大正デモクラシーなるものの勃興は秩序の崩壊を意味した。資本主義によって経済は飛躍的に拡大したけれども、取り残された者は不満を募らせ、若者は左翼イデオロギーに飛びついた。
 外を見遣(や)れば、清は辛亥革命漢人による政権奪還)によって滅び、ロシアでは共産主義革命が起こった。日韓合邦は改元の2年前のことである。東アジアは動揺し、混乱していた。そうそう、第一次大戦に疲弊した欧州を押しのける恰好(かっこう)でアメリカが擡頭(たいとう)したのもこの頃で、やがて太平洋を挟んで、日本とアメリカの関係は緊張をはらんでいく。
 自由民主主義対共産主義というイデオロギー対立に、わが国も翻弄される。古くから「自由」も「民主」も国柄に体現されていた日本だったが、皮肉なことに、イデオロギーとしての自由主義を掲げるアメリカと戦うこととなる。国家と国家の関係が悪化するとき、主義や主張は紐帯(ちゅうたい)として役立たなかった。
 ≪不易と流行見抜いた批評眼≫
 こう見てくると、平成の今日、私どもが直面している問題の大半は、福田が生まれ育った大正時代に淵源(えんげん)があると言っても過言ではない。
 大正12年関東大震災によって「江戸」は壊滅し、東京の近代化・都市化が一気に進む。福田が思想的、芸術的、社会的にものごころをつけていったのは震災後のことである。当時、彼は孤独だった。しかし、その孤独が不易と流行を見抜き、自己と他者を分別する批評眼を育てた。「密(ひそ)かに私は自分の『孤独』に栄冠を与へた」(覚書一)と、回顧している。
 戦後猖獗(しょうけつ)を極めた進歩主義(これも近代化の変奏の一つだった)に抗(あらが)い、そこからもたらされるさまざまな問題について、彼は問い続けた。その一つが普遍主義(世界主義)との距離の取り方である。進歩主義マルクス主義の仮面であり、日本人の多くはそれを受容すべき普遍主義と信じ込んだ。
 これに対して、福田は「世界主義か民族主義かの二者択一にさいして、躊躇(ちゅうちょ)することなく世界主義を採用して惑はぬ国があるとすればそれは世界主義の採用が同時におのれの民族主義の方向を満足させうる国家にほかならぬ」(二つの世界のアイロニー、昭和25年)と喝破する。
 ここでいう世界主義とは共産主義のことである。そんなものは所詮、ソ連の自己利益を満足させるための道具にすぎない、と指摘しているのである。「世界主義」を「グローバリズム」に置き換えれば、この言葉が今日も光彩を放っていることに気付くだろう。
 もちろん福田は、グローバリズムを闇雲(やみくも)に拒否せよ、などと単純な物言いをしているわけではない。「世界主義か民族主義かといふやうな二者択一はわれわれのものではない。この課題がすでに外部から与へられたものである」、「自家製の世界主義を編み出せぬものが、自己の民族主義を押し出せるはずはないではないか」(同)。要するに、二項対立の不毛を指摘しているのである。
 ≪西洋に「対抗」し自己を確立≫
 グローバリゼーションとグローバリズムの峻別(しゅんべつ)もせぬまま、私どもは依然として、自己喪失と排他主義の間を右往左往している。戦後の敗北主義は依然として日本人を呪縛し続けている。とりわけ対米関係をめぐる諸問題にそれが色濃くあらわれている。
 他者の発する普遍主義の虜(とりこ)になるのも、何が何でも反対と拳を突き上げるのも、結局のところ、コンプレックスでしかない。肝腎(かんじん)なのは(身も蓋もない言い方だが)、日本の自己利益を満たす道具として、堂々と国際ルールを提起し、その正当性を主張することである。あるいは他者が提起したルールに自己の意思を吹き込むことである。
 三島由紀夫から「西洋と暗渠(あんきょ)で繋(つな)がっている」と、揶揄(やゆ)とも非難ともつかぬことを言われた福田だが、しかし彼が追求したのは、西洋への「対抗」だった。福田によれば、「対抗」とは敵対でもなければ、否定でもなく、相手の言い分をいったん引き受けたうえで、自己の地位を確保すること、である。他者と真摯(しんし)に向き合うには、自己を確立し、自信を回復しなければならない。
 百年の課題である。(えんどう こういち)
 
8月24日付産経新聞朝刊「正論」