大阪の教育改革が日本の復興復活の分水嶺

    詳しくは 正論8月号 P216をご覧下さい
 
 教育評論家 森口 朗氏はいう。
 
大阪の橋下市長の教育改革の成否が、日本の復興復活に立ち上がれるか否かの分水嶺となるという。
 
昭和59年の臨時教育審議会が平成14年まで行ったゆとり教育は失敗。
それは、知識の詰め込みよりも意欲・態度・関心こそが重要だといって提唱した新学力観により学校現場は大混乱に陥った。漢字の書き取り、計算問題等の反復練習を批判し、「500円玉を持ってお店に行きました。190円のチキンバーガーと150円のポテトを買いました。お釣はいくらでしょうか。」という問題を1時間かけてみんなで考える授業を奨励しているそうですよ。
お母さん、息子、娘馬鹿になります。改善してもらうべきではないですか。
さらに求められる教師の役割も変わり、指導ではなく支援・援助をするように諭されるそうです。まともな学校運営はできません。自らの未熟さを指摘されないまま大人になる若者が大量発生し、多くの企業が今被害を被っている。教え込みを否定するのが新学力観です。だから、教科書が薄くなった。円周率も3でヨシとした。
 が、1990年代後半になってゆとり教育見直しの機運が生まれた。当時の中山なりあき文部科学大臣中央教育審議会に学習指導要領を増やす方向での見直しを指示するとともに、全国一斉学力テストを復活させた。安倍内閣以降にも引き継がれた。いまの教科書は当時の1.5倍になった。
 しかし、文部科学省は「ゆとり教育」は捨てたが、その元凶の新学力観を捨てないで学校教育現場を混乱に陥れている。だから、教育委員会も新学力観を現場に奨励しているから先生がまともな教育ができない、自分の子が良くならない馬鹿な子供となる。将来が無い。老後が不安となる。それでよいのか。
 
つまり、大阪の教育改革は内容的には新学力観・ゆとり教育といった臨教審路線からの決別。教育界からの抵抗で果たせなかった「民間活力の導入」路線への再チャレンジ。
 
 知ってましたか。
職員組合と校長会と教育委員会の役人と学界がガッチリと手を握って一つの利権集団になっている。利権集団にとっては知事・市長・首長から選任された教育委員さえもよそ者に過ぎない。だから、対処法は一つ。言われたことだけを「はいはい」と聞き流し、彼らを怒らせない最低限の施策を行うことです。だ、教育が良くならない。
 
  読んで思いました。こういう本を親が読んで勉強し教育委員会・学校へ適切な要望をし実施させることが家計を楽にすることです。学校でまともな教育をしてもらえば無理して塾に行くこと無い。モンスターペアレントに対しても父兄が物申してやれば先生も一生懸命に子供に教えてくれる。
要は、クダラナイことは言わない。言うべきことを言う。ただそれだけ。
 親も勉強、子供と共に。
 
雅楽平和 いい音色 です