17か条の憲法で、多文化共生・多様性を教える!

          皇室とともに

多文化共生・多様性を推進する文科省・マスコミ

 それに従順な国民が居るから教育の場でも疑いも無く教える、教えられた子どもたちは信じて疑う者はまずいないだろう。悲劇の教育が始まっている。

戦後教育にGHQ国際法に違反する、教育への介入を行った。吉田内閣時に公職追放を解除して左翼を刑務所に戻せなかったことが教育崩壊になった。日本がおかしくなった原因だ。マッカーサーの僕で無ければ総理の座につけないという実態があったから国家国民を見捨て吉田総理は権力の座に居座った。敗戦利得者。当時、誰がやっても同じであっただろう。悲しき日本の歴史。国民が死をかけてでも日本を取り戻す覚悟で戦えば可能であっただろうが無理でしょう。

今となっては、

教育が日本を救う。全ての問題の原因を調べると教育に辿り着く。教育を正しく改める、教員を教育基本法に基づき教育を行うとは、一切解釈しないで理解して教育に当たることです。現実の世界は、教員の立場を守る為に都合よく教育するには解釈することです。それを許す文科省、国、、政府、自治体、教育長、議員たち。保護者が教育基本法を理解し教育を行えと、学校に要求することで教育は健全化する。保護者は、最強のカードです。

教員は、世間の空気に惑わされない。保護者を味方に付ける戦術をとることだ。

多文化共生・多様性

これを日本国は受け入れなければならないとマスコミが垂れ流す。マスコミがテレビが言うから正しいと思い込むことが間違い。インテリジェンスを働かせて自らが行動する。インテリジェンスとは - 検索

なぜ、多文化共生を押し付けるのか考えれば分かる。移民化の更なる促進で日本侵略を戦争をせずに実現できる。多文化共生は、武器化されていることに気付くべきです。

日本は、聖徳太子の時代から多文化共生も多様性も行われていた。国連等から押し付けられる必要もない。17か条の憲法で教えられており、実践されていると突き返せばいいのです。問題なのは、17か条の憲法を正しく教えていない。教え方の問題です。教育の工夫が無かった。教科書通りに教え過ぎた。

聖徳太子の英雄物語」には、

17か条の憲法

第一条「和を以て貴しとなす」と略されている言葉で教えます。が、

「第一条 和を大切にし、いさかいをせぬようにせよ。人は皆それぞれ仲間があるが、まったくよく悟った者も少ない。それ故、君主や父にしたがわず、また隣人と仲違(なかたが)いしたりする。けれども上下の者が睦まじく論じ合えば、おのずから道理が通じ合い、どんなことでも成就するだろう」

「第十条 心の怒りを絶ち、顔色に怒りを出さぬようにし、人が自分と違うからといって怒らないようにせよ。人は皆それぞれ心がある、お互いに譲れないところもある。彼がよいと思うことを、自分はよくないと思ったり、自分がよいことだと思っても、彼の方はよくないと思ったりする。自分が聖人で、彼が必ず愚人ということもない。ともに凡人なのだ。是非の理を誰が定めることができよう。お互いに賢人でもあり愚人でもあることは、端のない環(わ)のようなものだ。それ故、相手が怒ったら、自分が過ちをしているのではないかと反省せよ。自分ひとりが正しいと思っても、衆人の意見も尊重し、その行うところに従うがよい」

 如何ですか?

外国勢力から、多文化共生・多様性がない日本人よ、お前たちは学び直せと強制させられていると感じないのか?劣等民族、日本人と言わんばかりだ!

聖徳太子の時代から日本は、多文化共生・多様性を兼ね備えていた証拠が17か条の憲法だ。逆に世界に発信すべきことです。日本を範とせよ。と。

子ども家庭庁なんかいらない!日本とは素晴らしき文明・文化を持っている国家であることを発信する庁にすることだ。

情報発信庁

如何かな。

学校に於いて、

多文化共生・多様性を教える内容は、

聖徳太子の17条の憲法を現代口語訳で詳しく教えることです。

田中弘道教授は、17か条の憲法について神道と仏教をうまく融和させているといいます。聖徳太子は、仏教を排除しなかったことが素晴らしいといいます。世界では、自国の宗教が取って代わられていたがその危機を脱した。

聖徳太子 17条の憲法 全文 - 検索

道徳教育と日本人としての誇りを持てる、皇室と日本人との繋がりも分かる。

国家観を持てない国民はロクでもない議員を誕生させてしまう。

我が身の崩壊へと誘うことを理解すべきだ。

今だけ、金だけ、自分だけの捨て去ろう!

『大御宝』の精神とは、国民こそ最も大切な宝という皇室の精神