苦境にも日本人の使命と希望を語りつづけられた昭和天皇

            皇室とともに

「情の力」で勝つ日本 日下公人

苦境にも日本人の使命と希望を語りつづけられた昭和天皇 より P200

有名な話で、ポツダム宣言を受諾するかどうかを決める昭和二十年八月十日の御前会議は、議論が真っ二つに分かれて決まらなかった。鈴木貫太郎首相は、「誠に懼れ(おそれ)多いことではございますが、ここに天皇陛下の御思召し(おぼしめし)をおうかがいして、それによって私共の意見をまとめたいと思います」とご聖断を仰いだ。

 そこで昭和天皇はこのような趣旨のことをおっしゃったと伝わっている。

「陸海軍のしてきたことは予定と結果が大変に違う場合が多い。このような状態で本土決戦に突入したらどうなるか、自分は非常に心配である。自分の任務は祖先から受け継いだこの日本を、子孫に伝えることである。自分は明治天皇の三国干渉のときのお心持ちを考え、自分のことはどうなっても構わない。堪え難きこと、忍び難きことであるが、この戦争をやめる決心をした。」

 かくして日本は終戦へと至るのだが、このときの昭和天皇の「自分はどうなっても構わない」というお言葉は、何の嘘偽りもなかった。連合国軍最高司令官マッカーサーは日本に来るとすぐに、皇室の財産が海外に移されていないかを調べた。海外の君主の場合、戦争に負けるとすぐに自分の資産をスイス銀行などに逃がして、亡命の準備をするものだったからである。いまも中国共産党の幹部たちは、まだ負けてもいないのに財産を盛んに海外に持ち出している。だが日本の敗戦時、占領軍がいくら調べても、皇室の財産が海外に移された形跡はなかった。

 マッカーサーは不思議に思いつつ、昭和二十年九月二十七日、昭和天皇との会見に臨んだ。すると昭和天皇は次のようなお言葉を述べられた。

「責任はすべて私にある。文武百官は、私の任命するところだから、彼らには責任はない。私の一身は、どうなろうと構わない。このうえは、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい」

 このお言葉に、マッカーサーは心底驚愕し、胸打たれ、昭和天皇に敬意を持つようになったといわれる。昭和天皇の「真情」は敵将の心さえ動かしたのである。

 実は、そのことが広く報じられたのは、ようやく戦後十年が経ったころのことである。だが、そのような事実を知らなくても、昭和天皇の大御心を、日本国民はよくわかっていた。終戦直後は「天皇陛下はありがたい」というような言葉が米軍に聞こえるとマッカーサーに捕まって沖縄で十年間重労働をさせられる、などといった噂が流れたので、おおっぴらに口には出さなかったが、日本人の心は変わらなかった。

 昭和天皇は、戦争の責任はすべて自分で引き受ける覚悟を示される一方、国民には、日本人の使命と希望とを語りつづけた。

 すでに昭和二十年八月十五日にラジオ放送を通じて国民に語りかけられた「大東亜戦争終戦に関する詔書」の最後の部分でも、次のように語っておられる。

中略

 世界大戦に敗北するという未曽有の危機に臨んでも、「よろしく国を挙げて一家となり、子孫にこの国を伝え、日本の不滅を固く信じ、任ずるべき使命は重く、道は遠いことを思い、総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし、志を固め、国体の精華を発揚して、世界の進運に遅れぬようにしよう」と、日本の伝統への信頼を表明しつつ、世界に対する使命を訴えておられるのである。この部分だけ読むと、日本が勝っているのか負けているのかさえ、わからない。

 さらに、昭和二十一年一月一日に出された「新日本建設ニ関スル詔書」にも、次のような言葉がある。

中略

「わが国民が時局の難題に立ち向い、困難や苦しみを克服し、産業や学問・芸術の振興のために勇んで前進することを希望する。わが国民は社会生活で団結し、寄り添い助けあい、寛容にお互いを許す気風を作り上げていくにあたっては、日本の至高の伝統に恥じない真価を発揮するだろう。このようなことこそが、わが国民が人類の福祉と向上のために絶大な貢献をなしていく道になることは疑いない」という意味だが、国民を勇気づけ希望を与える言葉に満ちている。ここでも、「日本は人類の福祉と向上に貢献するのだ」と使命を高らかに打ち出し、その基盤となる日本の素晴らしい伝統に言及しておられる。

 さらに、昭和二十一年五月二十四日には、ラジオ放送で「食糧問題に関するお言葉」の玉音が放送された。この文章は、現代でも読みやすいものなので、全文を揚げよう。

 

《祖国再建の第一歩は、国民生活とりわけ食生活の安定にある。戦争の前後を通じて、地方農民は、あらゆる生産の障害とたたかひ、困難に堪え、食糧の増産と供出につとめ、その努力はまことにめざましいものであつたが、それにもかかはらず、主として都市における食糧事情は、いまだ例を見ないほど窮迫し、その状況はふかく心をいたましめるものがある。これに対して、政府として、直ちに適切な施策を行ふべきことは言ふまでもないのであるが、全国民においても、乏しきをわかち苦しみを共にするの覚悟をあらたにし、同胞たがひに助けあつて、この窮況をきりぬけなければならない。戦争による諸種の痛手の恢復しない国民にこれを求めるのは、まことに忍びないところであるが、これをきりぬけなければ、終戦以来全国民のつづけて来た一切の経営はむなしくなり、平和な文化国家を再建して、世界の進運に寄与したいといふ、我が国民の厳粛かつ神聖な念願の達成も、これを望むことができない。この際にあたつて、国民が家族国家のうるはしい伝統に生き、区々の利害をこえて現在の難局にうちかち、祖国再建の道をふみ進むことを切望し、かつ、これを期待する》

 

 食糧状況の厳しさという苦境についてさえ、「これを助けあって切り抜けねば、世界の進運に寄与するという厳粛かつ神聖な念願の達成ができなくなる。家族国家・日本の伝統に生きよう」と日本の使と伝統を訴えるのだから、まことに徹底している。しかも昭和天皇マッカーサーに対して、「皇室財産を差し出すので、国民に食糧を支給してほしい」と申し入れておられる。これにはさすがのマッカーサーも、「陛下にご心配をおかけしません」と答えるしかなかった。

 いずれの場合でも、昭和天皇は、ただ「頑張って苦境を乗り越えましょう」などというレベルの低い話をしているのではない。わが国は、この厳しい状況を乗り越えて世界や人類に貢献していかねばならないし、十分にその力がある」と、ヒュージネスに対する戦いを宣言しておられるのである。

 このような言葉は、国民の「情」に響き、国民を奮い立たせた。われわれは負けてしまい、大変な境遇になってしまったが、しかし日本人として崇高な使命に向かって邁進するのだ、という「情」において、天皇と日本国民とは一体になったのであった。

天皇制などなくてもいい」などという意見もあるが、少なくともこのような歴史を見てくると、天皇が日本におられて、本当によかったと、しみじみ思えてくる。

 

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